第一章 学校にて

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第一章 学校にて

 直斗はベッドの上で仰向けに寝ていた。  辺りは真っ暗だった。墨汁で染められたように、真の闇に包まれている。その原因が、自身の目に掛けられた目隠しであると気が付いたのは、少し間を置いてからだった。  直斗はその目隠しを外そうと、手を動かした。しかし、金属が触れ合う音がして、それは叶わなかった。  手首に金属の輪のようなものがはまっている。手だけではなく、足も同じだった。大の字になって、ベッドに磔にされているのだ。  直斗は手足を激しく動かした。しかし、金属同士がぶつかる硬質な音が響くばかりで、枷は外れなかった。  人の気配がした。誰かの手が直斗に掛けられていた目隠しを取り去った。  刺すようなまばゆい光が、直斗の目に飛び込んで来る。  煌々と光を放っているライトの下、誰かが直斗を見下ろしていた。逆光でシルエットになっている。  その誰かは、キスをするかのように、直斗の眼前に顔を近づけた。  シルエットではっきり見えないが、幼い少女だというのはわかった。  少女は笑っていた。小さな唇の隙間から、不自然に長い八重歯が見える。そして、少女は直斗の首筋に唇を近づけた。  少女は甘噛みするかのように歯を立てた。やがて、その歯は、皮膚を破り、体内へと沈み込んだ。  直斗は小さくうめき声を上げた。  少しづつ、自身の血が吸われていくことを直斗は実感した。  はっと目が覚める。  直斗の寝惚けなまこの目が、人影を捉えた。妹の春香がベッドの脇に立ち、膨れっ面で見下ろしていた。   「ようやく起きた。さっきから声かけてるのに、全然起きないんだから」  直斗は目を擦りながら体を起こした。ベッドサイドに置かれた時計を見る。すでに、タイマーでセットされた時刻を過ぎていた。どうやら、自分でも気付かない内にタイマーを停止させたらしい。そして二度寝をしたようだ。  「お母さん怒っているよ。早く起きて来なさいって」  春香は、すでに通学のための服に着替えていた。JENNI系のスカートとTシャツで纏めた、カラフルで可愛らしい服装だ。  「わかった。すぐに降りて行くよ」  「お兄ちゃん遅いから、今日は先に行くね」  「うん」  春香とはいつも一緒に家を出ていた。だが、今日はそうも行かないようだ。  春香が部屋から出て行くのを見届けた後、直斗は息を一つ吐き、ベッドに腰掛けた。額を触る。うっすらと汗をかいていた。  嫌な夢だった。妙な生々しさを持っていた。夢の中で少女に噛み付かれた首筋が、今も痛みを持っているような気がする。  直斗は、首筋に指で触れるが、もちろん、そこに傷跡は無かった。  タオルで額の汗を拭きながら、直斗はぼんやりと思う。  どうしてあんな夢を見たのだろうか。  心当たりはあった。今日の高校の行事のせいかもしれない。  留学生が来ると学校側は言っていた。なんでも異文化交流の一環らしい。  一年前の決闘以来、人類と異世界人との交流が始まった。文科省は留学制度を異世界間でも制定し、各学校に推進した。直斗の高校は、リベラル派らしく、積極的に受け入れる姿勢をとった。それが功を奏し、めでたく今日、異世界人が留学する運びになったのだ。  問題はその『人種』だった。そのせいで、あんな夢を見てしまったのかもしれない。  直斗は、ベッドから立ち上がった。窓際に行き、カーテンを開ける。  すでに、強く明かりを放っている太陽が、直斗を照らした。  直斗は階下に下り、トイレを済ませた後、リビングへと入る。食卓には朝食が並んでいた。向かい合わせの春香の食器は空だった。 対面型キッチンに居る蛍子に朝の挨拶をする。  「おはよう」  「おはようじゃないわよ。遅刻するよ。早く食べなさい」  「うーん、お腹空いてないから牛乳だけにするよ」  直斗はそう言い、食卓の上に置かれたコップに牛乳を注ぎ、口を付ける。  食欲が無いのは本当だった。あんな夢を見たせいだろうか。  直斗は牛乳を飲みながら点いたままのテレビに顔を向ける。朝のニュース番組をやっていた。  何かの特集を組んでいるらしい。かなり仰々しい雰囲気だった。画面右上のテロップにはこう書かれてあった。  『決闘から一年!! 世界の情勢』  司会者が慣れた様子で、解説を行っていた。  「決闘から丸一年となった現在、世界各地にある異世界のリウド国へと繋がっている門は、五ヶ所程にまで数が調整されました。その門を通じて各国政府や、専門機関が渡航を行いました」   テレビ画面は、異世界人が侵攻してきた際に、世界中に出現した『門』の映像に切り替わった。  その『門』は、左右の柱や冠木といった部分に、人や獣、爬虫類が悶え苦しんでいるような彫像が施されている。色は闇から抜け出てきたような漆黒だった。そして、その門を囲むように、検問所等の施設が建てられていた。  「あちらの世界には、こちらの世界には無い物が沢山ありますが、その中でもやはり特筆すべきは、魔法と呼ばれる特殊技術です。まだまだ浸透はしていませんが、一般人でも一部の方は、異世界へと渡航し、その結果、魔法技術を身に付けて帰ってくることも多いそうです。しかし、中には、検問で引っかかったり、魔法が使える道具が規制にかかり、没収されたりと、トラブルも続出しているようです」  次に、画面上には異世界への渡航率を表すグラフが表示された。それによると、日本における異世界への渡航率は2.5パーセント程度らしい。渡航が開始されたのは、つい最近であるため、数値は低い。  反対である異世界側からの渡航は、規制が掛かっており、ほぼセロに近い。やって来るのは、特別な認可を受けた一部の者ばかりだ。  よって、こちらからの渡航者が多いとはいえ、実質、双方の渡航者自体、極々少数であるようだ。  直斗も、例の決闘以来、直接異世界人を見たことはなかった。門戸が開放されてまだ一年程度なのだ。互いの人間交流は未発達なのだろう。  ニュース番組は、続いて決闘時の話題に移った。新しい画像が表示される。そこには緑色マント姿の人物が映っていた。  「我々人類側の勝利を決定付けた通称『ロビン・フッド』の正体は未だにわかっていません。一体、英雄は今、どこでなにをしているのでしょうか?」  テレビ画面に、ニューススタジオが映し出され、アナウンサーはそこで別席にいるコメンテーターにバトンタッチをした。年配のコメンテーターは、講演中の教授のように、澄ました顔で語り出す。  「ロビン・フッドについては色々と憶測が飛び交っています。アメリカの軍で秘匿されていた超能力者だとか、遺伝子操作で造り出された超人ではないかなど、映画の内容を聞いているような、噂同然の情報があります。また、宗教関係者からは、神の使いか、あるいは、キリストの生まれ変わりではないのかという意見もあります。かなりの数の情報がデマやオカルトに近く、確実な情報が現れていない事が窺えます」  コメンテーターは、数字が書かれたフリップを取り出し、解説を続ける。  「また、ロビン・フッドには異世界側から賞金が懸けられているとの情報があります。日本円にして数億は越える額のようで、条件は、生死不問の捕縛ないし、殺害であるらしく――」  「直斗! 食べないなら早く準備しなさい! 本当に遅れるよ!」  キッチンから蛍子が怒鳴った。直斗は我に返り、慌ててテレビから顔を逸らすと、空になったコップをテーブルに置いた。そして急いでリビングを出る。  登校の準備を終え、ブレザー姿になった直斗は玄関で靴を履いた。  土間に春香の靴は無かった。本人が言っていたように、すでに登校したようだ。いつものように、家の前で待っている友達と一緒に行ったのだろう。  「いってきます」  直斗はリビングにいる蛍子に声をかけ、外に出た。目が眩むような朝日が照りつける。六月なのにやたらと日差しが強い。暑くなりそうだった。  直斗は通勤や通学の人間に混ざって、住宅街の中を、学校に向かって歩き出した。    家を出て、二十分程が経った。  直斗は、通勤途中の車が行きかう稲荷町の交差点を抜けた。目の前に、私立扶桑(そうふ)高校の白い校舎が見えてくる。  扶桑高校は、木更津駅に程近い場所にあった。近場にイオンタウンやコンビニもあり、立地条件は良かった。表面的には生徒の買い食いは禁止されているが、こっそり破る者も少なく無く、生徒達は、憩いの場としてそれらを利用することも多い。  直斗は、他の生徒と共に校門をくぐり、上履きに履き替えた後、自分の教室に向かう。  二年三組の教室に入った時は、始業時間まで十分を切っていた。直斗は、窓際の自分の席に行き、ホッと一息つく。朝食を抜いた甲斐があった。タッチダウンのような真似はせずに済んだようだ。  直斗が、通学鞄の中身を机の中に移していると、後ろから声が掛かった。  「いつもより遅かったじゃん。どうした?」  直斗が振り向くと、そこにはクラスメイトの小黒裕也(おぐろ ゆうや)が立っていた。がっちりとした体格と長身を持ち、ハーフのような彫りの深い顔に笑みを浮かべている。  「ちょっと寝坊してさ」  「情けないぞ。俺よりも早く来いよ」  裕也はバスケ部の早朝練習があるため、始業時間より、二時間は早く学校へ来ていた。  「嫌だよ。意味が無いじゃん。バスケ部じゃないんだし」  「ならバスケ部に入れよ。帰宅部なんかやらずにさ。鍛えてやるぜ」  二年にして、バスケ部のレギュラーを務める裕也が、冗談交じりで勧誘を行う。  「体育会系は性に合わないよ。帰宅部のままが気楽だよ」  直斗が本心で、そう言った時だった。  教室の隅から声が上がった。  直斗がそちらを見ると、クラスメイト数名が、固まって何やら騒いでいる。  直斗の怪訝な顔を見て悟ったのか、裕也が答えた。  「木場(こば)の奴だよ。魔法を使えるようになったらしい」  「魔法?」  直斗の問いかけに、裕也は頷いた。そして、どこか羨んでいるような口調で説明を行う。  「なんでも木場の叔父さんが異世界に行って、魔法の道具を買ってきたと言っていたぞ。金持ちだからな木場の家系は。もう何回か向こうに行っているみたいだ」  直斗は、一つの席にたむろしているクラスメイトの合間から、木場建治(けんじ)の姿を確認した。黒縁眼鏡を掛けた優等生風の顔に、真剣な表情を貼り付かせ、右手の人差し指を上に向けている。その上方では、シャーペンや消しゴムが、惑星軌道のように、ゆっくりと回っていた。  人差し指には、赤い宝石を付けた銀色の指輪がはまっている。ガーネットリングに似ていた。木場のような、真面目で大人びた男にはとても似合わない。しかし、たむろしている女子達の尊敬の念は、集めているようだ。  「あの指輪は日本円で百万はするとさっき自慢していたぞ」  「百万!?」  木場の操る文房具惑星よりも、そちらの方が衝撃的だった。あんな手品もどきを行うために、百万かかるとは。  「そんなにするのか」  直斗の呆れた声に、裕也は首を振った。  「木場自身はともかく、魔法は凄いと思うぞ。手品と違って、本当にそういう現象が起きてるんだから」  「でも、ただ宙を回っているだけだろ」  直斗は木場の方を指差しながら言う。  裕也はわかっていないな、というような顔をした。  「それだけでも凄いだろ。人間の力じゃ不可能なことをやってるんだぜ。それにさっき聞いたけど、あの指輪はその気になれば机くらいは浮かばせて投げつけることができるらしい」  「机を投げ付けるなんて誰でも出来るよ」  「人の腕力に頼っていないから凄いんだよ」  直斗には、どこがどう凄いのかわからなかったが、裕也は本気で言っているようだった。  やはり魔法はこちらの世界の人間にとって、相当魅力的に映るらしい。異世界の魔法は、戦闘に特化したものが多いと聞くが、それでも信奉に値するようだ。人間というものは、邪馬台国時代からも変わらず。不可思議な力を追い求めるものらしい。  「今日留学してくる異世界人達も魔法使えるのかな?」  裕也が訊いた。直斗は首をひねる。  「どうだろうね」  「女子が不安がっているぜ。いきなり襲われるんじゃないかって。しかも吸血鬼だしな」  直斗の脳裏に、今朝見た夢の光景が蘇る。吸血鬼に血を吸われるのは、あんな感じだろうか。  「先生の話じゃ、血を自分達で用意しているから、安全だと言ってたよ」  吸血鬼が留学して来ることについての事前説明で、学校側は幾度と無く、吸血鬼達は、生徒を襲う危険性がないということを喧伝していた。  「わかっているよ。でも不安じゃん。俺、嫌だぜ。血を吸われてミイラみたいになるの。それに、こっちの世界で言われているような吸血鬼と違って、十字架や日光も平気らしいじゃん。絶対やばいよ。異世界人だってだけで危険なのに」  裕也が、彫りの深い顔を曇らせながら、不安を吐露する。それと同時に、始業のチャイムが鳴り響いた。  裕也は直斗に手を挙げ、自分の席へと戻って行った。  担任教師の遠田昭三(とおだ しょうぞう)が、教室へ入って来る。遠田は教壇に着き、神経質そうな顔を教室中の生徒に向けた。  「えー、これよりショート・ホームルームを始めます。以前から話していた通り、今日は異世界のリウド国から留学生がやって来ます。それでこの後、紹介のために、体育館で全校集会を行います。出欠確認の後、速やかに移動を開始して下さい」  遠田がクラス名簿を読み上げる。やがて、出欠確認が終了し、二年三組の生徒は、体育館へと移動を開始した。直斗も裕也と連れ立って、生徒の流れに乗りながら、体育館へと入る。  体育館において、直斗達の組が整列する位置は、中央付近に定められている。壇上を正面に据えているため、ステージ全体が良く見えた。  三々五々、生徒達が体育館に集結し、整列が完了した所で、集会が始まった。ステージ上で、禿頭の校長が、集会の流れの説明を行う。地元の新聞社が来ているらしく、時折フラッシュがたかれていた。  ステージ上には、まだ留学生の姿は無い。  校長の話が終わり、扶桑高校理事長である、御神龍司(みかみ りゅうじ)に交代した。  モデルのように整った顔と、長身を持つ御神は、扶桑高校の理事長、つまり経営者である。老人ホームやアパートも所有しているらしく、直斗が聞いた限りでは、相当な凄腕の経営能力を誇っているという。年齢も、四十代始めと若く、絵に描いたような、エリート然とした人物だ。  御神が講壇に立ち、全校生徒を見据えながらマイクに向かって口を開く。  「今日は扶桑高等学校において、大きな意味を持つ日となります。一年前、異世界にあるリウド国と我々の世界との間に平和条約が締結し、交流が始まりました。そして、文部科学省が進める異世界間交流制度にのっとり、私たちの学校に留学生を迎え入れこととなりました。グローバル化した社会において、他国の人間と触れ合うことは非常に大切なことですが、世界が違う人間同士でも、それは変わらないはずです」  マイクを通じて、御神の爽やかな声が体育館に響く。校長の時よりもフラッシュが多く瞬いていた。  「よく言うよ。多分補助金目当てだよ」  直斗の背後に並んでいた柳田俊一(やなぎだ しゅんいち)が、こっそりと耳打ちをする。直斗は首を横に向け、横目で、俊一の顔を確認した。俊一の綺麗に整ったマッシュルームカットの下にある、細い目が直斗を見ていた。  「前に他のクラスの人間から聞いたけど、交流制度を利用して、異世界人を受け入れると、国から補助金が出るらしいよ。しかもかなりの額の。だから飛びついたんだって。つまり、俺らはお金のためにイケニエにされたってわけ」  「イケニエ?」  直斗は、声を抑えて聞き返した。あまり目立つと、教師に注意されてしまう。  「うん。お金のために危険な異世界人をわざわざ受け入れてるからそう言われてるよ。生徒のことを案じていない証拠だって」  俊一は、神妙な顔でそう答えた。  俊一の言葉を聞き、直斗は、裕也との会話を思い出す。裕也も同じように、留学生に対する危惧の気持ちを吐露していた。そしてそれは、他の生徒達も同じ心情である、ということにも言及をしていた。  そのような声は、異世界出身の留学生がやってくることが決まった時から、存在していた。吸血鬼という人種もさることながら、異世界人そのものに対しての拒否感の声が、保護者や生徒達の中から沸きあがったのだ。しかし、それに対し御神は、敏腕経営者たる巧みな話術で丸め込み、押し通したのだった。  そのような背景からでもわかるように、現在も異世界人に対し、危険視している人間は多いようだ。無理もないかもしれない。向こうが降伏したとはいえ、一度侵略を行ってきた相手なのだ。人類側の犠牲者は極々少数であるものの、アレーナ・ディ・ヴェローナでの凄惨な光景は、人々の脳裏に強く刻み込まれているのだろう。  直斗は、周りを気にしながら返す。  「やっぱり異世界人はそこまで危険視されているんだ」  「そうだよ。あれだけの事をしたからな」  「でも、一対一の決闘でしか命を奪わないというルールを向こうが持っている以上、大丈夫なんじゃない? 決闘を受けなければ」  直斗の言葉に俊一は、細い目をさらに細くし、そして鼻で笑った。  「そんなもの何のアテにもならないよ。あの時、決闘が成立したのも、あくまで国単位で絡んだお陰で、個人にまでそのスタイルが浸透しているとは限らないかもしれないだろ? 少なくとも、そういう意見がネットでは主流だよ。国連が平和条約の他に、個人に対する安全保障条約を制定したのも、常任理事国がその確信があるんじゃないかって噂だよ」  御神のマイク音声が響く中、俊一は捲くし立てた。  俊一が言及した安全保障条約は、リウド国との交流が始まった時に、締結された条約である。簡単に言うと、リウド国民全員に、こちらの世界の人間に対し、一切の危害を加えることを強く禁止する条約だ。破れば厳罰である。正確には、表向き、こちらの世界の人間にも規定されているものだが、リウド国は敗戦国の立場であるため、ほぼ、一方的に押し付けている形となっている。  「むしろ、それなら安全が確約されたものじゃない? そのための条約なんだし」  直斗がそう言うと、俊一は呆れた口調で返した。  「わかってないな。彼らがその気になったら、いくらでも反故に出来るだろ? それだけの力があるんだから」  異世界人達は、個人レベルで、人間を凌駕する力を持っている。銃火器や、兵器を常に携行している人種を、受け入れるようなものかもしれない。  そう考えれば、恐怖を感じて然るべきだとは思う。しかし、限定的とはいえ、異世界との交流が始まり、移住や留学が行われている現在、人間が危害を加えられたという話が、一つも出ていないのも事実ではある。杞憂の面もあるのかもしれない。  直斗は、熱くなりかけている俊一を宥めようと、口を開きかける。だが、体育館の壁際で控えていた遠田が、射殺すような目でこちらを見ていることに気が付いた。  直斗は口をつぐみ、前に向き直った。  ちょうど、御神の話が終わりを迎えようとしていた。  「生徒の皆さんはこれから多くの夢ある将来に向かって羽ばたきます。温故知新の思いを胸に、今日の転機を良い経験として、ぜひ人生に役立ててください」  御神は力強く言い放った。その後、襟首を整え、再び口を開く。  「それでは、これから皆さんと共に学んでいく留学生を紹介したいと思います。しかし、あらかじめ言っておきますが、少しも不安がる必要はありません。何度も担任教師の方から説明を受けていると思いますが、異世界人や吸血鬼だという肩書きに捕われてはいけません。留学生のお二人は、学ぶため、そして交流するためにこの学校に来たのですから」  御神はそこで言葉を切り、舞台袖の方に向かって腕を広げた。そして高らかに言う。  「紹介します。リウド国からやって来たレイラ・ソル・アイルパーチさんと、ルカ・ケイオス・ハイラート君です」  御神の声を合図に、舞台袖から、二人の男女が姿を現した。  生徒達は、始めは様子を伺うように静まり返っていたが、二人の留学生がステージの正面に立ち、全身を見せたことで、大きなざわめきへと変化した。  そのざわめきは、やがて嘆声や、嬌声にシフトしていった。  「か、かわいいじゃん」  直斗の後ろで、異世界人排斥派の俊一が、唖然としたように呟いた。  周りの男子生徒達も同じだった。皆口々に「可愛い」「人形みたいに綺麗」「美少女」といった感想を発している。  女子生徒達も同様に「かっこいい」「女の子みたい」「イケメン」という言葉が聞こえる。  男子生徒達は、主に、留学生の少女に対して、女子生徒は、主に、留学生の少年に対して、感想を向けているようだ。  直斗の目にも、他生徒と同じように、留学生達は魅力的に映った。  留学生の少女は、服装こそは、扶桑高校の制服を着用しているが、その中身は、人間とは思えないほどの美貌をもっていた。金色の綺麗なストレートの髪型に、パッチリとした二重の目、そして、小さな唇と高い鼻。それらがバランス良く配置された顔は、精巧に造られたドールのようだった。肌は陶器のように美しい白肌である。  身長は一般的な女子高生と同じくらいだが、ステージが良く見える直斗の位置からは、かなり魅惑的なスタイルを誇っていることが見て取れた。  もう一人の留学生の少年も同じように、白人のアイドルのような美形だった。銀色の髪の下にある小顔は、一見すると、女の子ではないかと勘違いするほど中性的なものだった。体は小柄であるものの、それも綺麗な容貌と相まって、その中性的な魅力を引き立てていた。  「えー、皆さん、お静かに願います。留学生のお二人が戸惑ってしまいます」  留学生二人の容姿に、嘆声を上げる生徒達を、嗜める御神の声が響き渡った。その声は、どこか満足気だった。  何度か、御神の静粛を促す声が繰り返され、やがて生徒達は静かになった。  「皆さんが落ち着いたようなので、これから留学生二人の自己紹介に移りたいと思います。それではレイラさんから自己紹介をお願い致します」  舞台袖に控えていた教師が、レイラにマイクを手渡した。  レイラは、マイクを口に当てる。ステージ上で、マイクを持ったレイラを見ると、これから美少女アイドルのコンサートが始まるかのような様相だった。  マイク越しに、レイラの鈴のような可愛らしい声が、体育館中に広がった。  「扶桑高校の皆様、始めまして。私はレイラ・ソル・アイルパーチといいます。リウド国にある、クイエスという高校からやってきました」  レイラは、とても流暢な日本語を使った。一般的な日本人よりも綺麗な発音をしているように思える。  「私が日本の高校を選んだ理由は、日本人は、とても心優しい方が多いと聞いたからです。平和的で争いを好まないと、そう聞きました。そんな方達に囲まれて学校生活を送れることに、とても魅力を感じたのです。日本の文化のことは知らないことが多いですが、頑張って学んでいきたいと思います。扶桑高校の皆様、これから宜しくお願いします」  レイラは、自己紹介を終えると、ぺこりと頭を下げた。一拍、間を置き、生徒達の拍手が沸き起こる。  生徒の列の中から、可愛い、綺麗な声だった、といった感想が漏れ聞こえた。  「続きましては、ルカ君、お願いします」  御神の指示が飛び、ルカにマイクが手渡される。  ルカは、自己紹介を始めた。  「皆様、始めまして。ルカ・ケイオス・ハイラートといいます。リウド国にあるニペルという高校から僕はやってきました。日本を選んだ理由は――」  ルカもレイラと同様、とても流暢な日本語を使い、自己紹介を行う。  直斗はそれを聞きながら、感心の念を覚えていた。異世界との交流が始まって、まだ一年程度なのだ。日本への留学が決まった時期から学習を始めたと考えると、一年すら期間は無い。その短期間に二人は日本語をマスターしたことになる。言語を覚えるための魔法は存在しないらしいので、自力で習得したのだ。  直斗は、アレーナ・ディ・ヴェローナでの最後の戦いを思い出した。内容はともかく、自爆した敵の大将も流暢に、英語を使っていた。  ネットやテレビで、何度も流れた、そのシーンを観たネイティブの人間達が、完璧な英語だと、判を押したらしい。また、ホワイトハウスで決闘を宣言した異世界人や、アレーナ・ディ・ヴェローナの会場アナウンサーも、当たり前のように英語を使っていたが、それらも非の打ち所のない、マスターされた英語であるようだ。  異世界人、少なくとも、リウド国の人間は、言語習得能力が高いかもしれない――。そういった話が一部で囁かれているが、もしかすると、真実かもしれなかった。  ルカの自己紹介が終わり、生徒達の拍手が響き渡った。  留学生二人の自己紹介が終了したので、再び、御神にバトンタッチされる。  「留学生の方々、素晴らしい自己紹介をありがとうございました。日本語も大変上手で、感服しました。予め説明していた通り、お二人が編入するクラスは、レイラさんが二年二組に、ルカ君は、一年四組となっています」  御神は、言葉を区切った後、続けた。  「それでは、これにて閉会を行いたいと思います。各自、担任教師の指示に従い、教室へ戻ってください」  最後に、御神による起立と礼の声が掛けられ、全校集会は終わりを迎えた。  やがて、体育館の出入り口に近いクラスから、生徒達がぞろぞろと外へ向かって進み出す。いつもより、ざわめきが大きかった。皆、留学生について口にしているのだろう。  直斗も、生徒達の流れに乗りながら歩く。隣では、俊一が、興奮したように、レイラについて語っていた。  「すっげー可愛かったな。日本のアイドルよりも可愛いよ。声も聞き惚れるくらい素敵だったし、胸も大きかったな。レイラちゃんを一目見た瞬間、俺はハートを奪われたね」  鼻の下を伸ばしながら、俊一はそう言った。  「そうだね。確かに可愛かったけど、俊一、意見変わりすぎじゃないか」  直斗は、俊一の心変わりの早さに、舌を巻いた。  「そりゃそうだよ。あんなに可愛いんだぞ。手の平なんてすぐに返すさ。むしろ御神に感謝したいくらいだよ。ただ、うちのクラスに入れなかったことだけ、許せないね。二年二組の奴等が羨ましい!」  俊一は、歯噛みをした。ついさっきまでは、同じクラスどころか、学校へと転入することにすら、拒否感を示していたのにも関わらず、今は本気で悔しがっているようだった。  それから俊一は、教室に着くまでレイラについて、まるで歴代のファンのように、熱弁を振るっていた。レイラの美貌は、見事俊一を虜にしたらしい。  しかしそれは、他の男子生徒も同じだった。  「あんなに可愛いとは思わなかったぜ。レイラちゃん、どんな人が好みかな」  裕也も、いとも簡単に、ハートを射抜かれていた。全校集会が始まる前に、留学生に血を吸われることを、あれだけ懸念していたはずが、完全に忘れ去ったかのような発言だった。  直斗がそこを突っ込むと、裕也はあっけらかんと意見を覆した。  「前言撤回するわ。俺、レイラちゃんになら、血を吸われてもいい」  裕也は、目を輝かせながら、そう言った  俊一や他の男子生徒もそうだが、可愛い女の子とは、こうも男の意識を変えることができるものらしい。  二時限目の授業開始のチャイムが鳴り響いた。一時限目は、全校集会で潰れたので、授業は二時限目からになる。  裕也は、休み時間になったらレイラを見るために、隣のクラスへ行くことを直斗と約束をし、自分の席へと戻って行った。  担当教諭が教室に入ってきて、数学Ⅱの授業が始まった。将来にどうしても必要とは思えない、微分積分を習う。しかし、期末試験が迫っているので、真面目にやらなければならない。  にも関わらず、授業の最中、クラスメイト達は、どこか落ち着きがないような雰囲気を纏っていた。留学生二人の事が、意識から離れてくれないせいかもしれない。  やけに長く感じる数学の授業が終わり、休み時間へとなった。  裕也が、座に直斗の席にやってくる。  「行こうぜ。レイラの所に」  直斗は裕也と連れ立って、隣の二年二組の教室へ向かった。  二年二組の前には、すでに人だかりが出来始めていた。教室の入り口や、開け放たれた廊下側の窓から、別のクラスの生徒が中を覗いている。そのほとんどが、男子生徒だった。  直斗も、裕也と一緒に、他生徒達の間から、二年二組の教室の中を覗いた。  教室の前方付近の席に、レイラはいた。周りは同じクラスの女子生徒が、守るように取り囲んでおり、質問責めを行っているようだった。  レイラは、天使のように整った顔を時折ほころばせながら、受け答えをしていた。  「やっぱり可愛いな。見惚れるよ」  レイラの姿を見た裕也が、感嘆したように、呟いた。  「うん」  直斗も同意見だった。こうして近くで見ると、さらに可愛さを実感する。日本の美少女アイドルといわれる人種など、足元にも及ばないのではないかと思うほど、可憐な容姿をしていた。  「いいよなー。俺もお話したいよ」  いつの間にか、隣へ来ていた俊一が、あえぐように言った。  「じゃあ、お前が声をかけてこいよ」  裕也は、俊一にそう進言する。俊一は、かぶりを振った。  「無理だよ。こんなに人が多い中で、声をかけるなんて」  俊一の言うとおり、この状況だと、よほど無神経じゃない限り、声をかけられる人間はいないだろう。ほとんどの男子生徒は、遠巻きに眺めているだけだ。  すると、その時、妙なことが起こった。  談笑していたレイラが、ふと何かに気が付いたように、直斗達がいる方へ顔を向けた。二重の綺麗な目が、直斗達の周辺に注がれる。その視線が、自分に向いているような気がして、直斗の心臓は少し波立った。  「こ、こっち見ているぞ。どうしたのかな?」  俊一がうわずった声を上げた。  直斗の周囲に居る俊一以外の人間も、突然の美少女からの熱視線に、身を固くしているようだった。  しかし、すぐに取り巻きの女子に声をかけられ、レイラは再び談笑へと戻ってしまった。  「なんだったのかな?」  俊一が呟いた。レイラに目線を外され、少し残念がっているようだった。  「俺を見ていたようだったぞ。目があった気がする」  隣にいる裕也は半ば、本気で言っているようだった。  「そんなわけないだろ。俺を見てたんだよ」  俊一も冗談か本気か、小学生のように張り合った。  二人も直斗と同じように、自分を見ていたと、そう受け取ったらしい。もしかしたら、周辺の生徒達もそう感じているかもしれない。  レイラがこちらに視線を注いだ理由は不明だが、直斗は、レイラが自身を見ていたのは、ただの勘違いだったのだと考えた。  その後も二年二組は、希少な動物を展示している檻の前のように、大勢の生徒達で溢れ返っていた。  そして、チャイムが鳴ると潮が引くように、各自の教室へ戻っていく。次の休み時間も同じだった。休み時間の度に、二年二組の教室前は、人でごった返すようになった。そのため、ついには、教師の警告が飛び、用事がない者は、近づくことを禁じられた。  驚くべきことに、ルカが編入した一年四組も、ほぼ同じ末路を辿ったらしい。こちらは女子生徒が大勢押しかけたようだ。  直斗と同じクラスの神崎志保(かんざき しほ)が、それを教えてくれた。  「ルカ君、めちゃくちゃ美少年だったよ。うちの弟より可愛かった」  昼休みになり、志保は、健康的なショートカットを揺らしながら溜息をもらした。明るいイメージを与える、大きな眼を潤ませている。  志保は続けた。  「ルカ君、どんな子がタイプかなー。私みたいなお姉さんはタイプだと思う?」  「知らないよ。本人に聞けば」  直斗は、呆れたように答えた。志保も、裕也達と同じようなことを言い出していた。  どうやら、女子生徒もかなりの数が、ルカに骨抜きにされたようだ。  しかし、直斗も気持ちはわかっていた。あくまでレイラの場合だが、あの容姿を見れば、心を奪われるのも仕方が無いと思う。こちらの世界には無い、美貌を誇っているのだ。  直斗は志保と別れ、裕也、俊一と共に学食へ向かう。  食事をしている最中、周りの生徒達が留学生二人を話題にしているのが耳に入る。内容は概ね、裕也や俊一、志保とほとんど変わらない、留学生に対する羨望の声だ。  「留学生、本当に人気があるね」  直斗は定食の味噌汁を啜りながら、感想を漏らした。朝、昼食を抜いたので、サイドメニューを加えていた。  「一瞬で全校生徒のアイドルになったな。二人共」  裕也は、から揚げを口に運びながら答える。  「そうだね。良い意味で人間離れした容姿だもんな」  俊一が同意する。  今や、全校生徒、留学生に対する警戒心や恐怖心は微塵も残っていなかった。むしろ、真逆の感情を抱くに至っていた。これだと保護者の方も、生徒自身の意見で完封できるだろう。  つまり、御神が推し進めた留学企画は、見事成功した形になったのだ。御神は、事前に留学生二人に会っていたはずだから、それを見て、生徒の心の移り変わりも計算に入れていたのかもしれない。  三人は昼食を終え、教室に向かう。途中で俊一は、用事があるからと、どこかへと消え去った。  教室では、木場が相変わらず魔法を披露していた。しかし、話題は留学生に移っていたので、朝ほどは皆の興味を引いていなかった。女子が三名ほどが集まっているだけだった。  「良くやるよ。そんなに注目されたいかね」  直斗の横の席に座った裕也が、木場を見やりながら、溜息混じりに呟いた。羨む気持ちが幾分か薄れたようだった。  その後、十分ほど二人が談笑をしていると、突然、二年二組のクラスから壁越しに、歓声のようなものが聞こえた。ホームランを目撃した時のような、感極まった歓声だった。  その声はかなり大きかった。教室にいた他のクラスメイト達も気が付いたようだ。  「なんだろ?」  裕也が怪訝な顔をして、二組と三組を隔てる教室後方の壁を見る。直斗もつられて目を向けた。目に入るのはロッカーや掲示板だけで、当然、二組の中を覗くことが出来ない。  しばらくすると、何名かのクラスメイトがバタバタと教室の中に入ってきて、別のクラスメイトに興奮した口調で何かを話し始めた  俊一もその中の一人だった。俊一は、直斗達の元へやってくると、UFOでも目撃したかのような様子で口を開いた。  「さっき、二組の教室でレイラさんを見てたんだけど……」  「どこかに行ったと思ったら、レイラを見に行ってたのか。それに、センコー達に見物禁止食らっただろ? 大丈夫なのか?」  裕也が遮った。  「二組に友達がいるんだよ。そいつに頼んで、こっそり教室の中に入れてもらった。それで、中からレイラさんを見てたわけ」  俊一は続けた。  「レイラさんの近くに俺はいたんだけど、途中、魔法の話になってさ。それで二組の女子が聞いたんだよ。『レイラさん魔法使える?』って」  「マジか。それで?」  興味を惹かれたように、裕也は身を乗り出した。  「レイラさんは『使える』って頷いたんだよ。それで周りの女子達が見たいって騒ぎ出してさ。仕方なくって感じだったけど、レイラさん、魔法を披露したよ」  それを聞き、裕也は羨望の声を上げた。  「やっぱりレイラちゃん、魔法使えたんだ。すごいな」  「どんな魔法だったの?」  直斗の質問に、俊一はさらに熱を帯びた話し方に変わる。  「氷の魔法だったね。一瞬で、机の上に、バスケットボールくらいの白鳥の氷像が出来上がって、皆驚いたよ」  「あの時の声は、そのせいだったんだ」  直斗は納得したように頷きながら、氷の魔法か、と心の中で思う。ミノタウロスの爆発する魔法よりは穏健な印象だが、殺傷能力はあるはずだ。  やはり高校生と言えど、異世界人らしく魔法を使えるようだ。もう一人の留学生も同じだと見るべきだろう。  「俺も見てみたいぜ。レイラちゃんに言ったら披露してくれるかな?」  裕也が、期待を込めた口調で言う。  「直接はわかんないけど、いずれは見れると思うよ。しばらくの間、レイラちゃんはこっちに居るはずだし」  俊一が答えた。  留学生二人の留学期間は、一年間の予定になっていた。条件を満たせば、期間延長もあるらしい。また、学費の面も、およその留学制度と同じで、留学先の学費は免除され、在籍校のみの学費支払いになっているようだ。事前に、学校側がそう説明を行っていた。  昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り、二人は直斗の元を離れて行った。  午後の授業も、期末試験のために気合を入れた授業となっていた。全てのコマが終わると、生徒達の間に弛緩した空気が流れる。  一日の最後を締めるSHR(ショートホームルーム)が終わった。遠田の神経質そうな掛け声を皮切りに、放課後へと突入する。  直斗は、部活へ赴く裕也達に別れを告げ、帰路についた。あと少ししたら、期末試験のため部活停止が始まるはずだった。その時は、裕也達と一緒に帰ることになるだろう。  直斗は、登校の時に通って来た通学路を、逆走する。木更津地区から、大田山公園の横を抜けるルートを歩く。途中にあるセブンイレブンでジュースを買い、清見台地区を目指す。まだ少し早い時間帯のせいか、歩道は帰宅途中の小学生の姿ばかりだった。  清見台の自宅へと着いた直斗は、鍵を開けて、玄関へと入った。上がりがまちには、赤いランドセルが置かれてあった。どうやら春香は一旦帰ってきて、再び外出したようだ。友達の家にでも行っているのだろう。  蛍子がパートから帰ってくるのは、夕方なので、しばらくは一人だ。  直斗は二階の自室へ上がり、着替えを済ませてから学習机へ座った。期末試験対策と今日の復習を兼ねて、通信添削『Z会のキソドリル』に手を伸ばしかける。しかし、ふと思い立って、学習机の隣に備え付けられたPCの電源を入れた。  ウィンドウズが立ち上がり、直斗は、検索サイトで『異世界』『魔法』と入力して検索を行う。  多数のサイトがヒットする。魔法の存在が現実のものとなったせいで、魔法に関するサイトが、ウィルスのように増殖し、ネットの海に氾濫していた。それらの内容は、魔法に対する考察や、個々の目撃情報、異世界側からもたらされた魔法についての知識など、多岐に渡っていた。  その中からいくつかピックアップする。  直斗は自分自身が体験したことも含め、テレビやネットによって、魔法に対する知識は僅かだが蓄えていた。しかし、それらは、受動的に覚えたものばかりだった。  レイラや木場のように、身近に魔法を使える人間が現れ始めた以上、魔法についての知識習得は必要なのだと考えるようになった。  そのため、勉強を保留にし、しばらく魔法について調べることにしたのだ。  一時間近くを費やし、ネットから情報を釣り上げる。  そして、いくつか概要が頭に入った。  魔法を行使するには大きく分けて、二種類あるようだ。一つが、木場が行っていたように、魔法が込められている道具を使う方法。  そして、もう一つが、魔法を己に宿す方法である。  前者の場合は単純で、木場がやっていたように、行使したい魔法が込められた道具を用いるだけで済む。  後者の魔法を己に宿す方法がやや複雑で、生まれついて備わっている者や、精霊、悪魔などの特定対象との契約、手術、薬物、紋章、などといったものがある。それらは多岐に渡っており、また、魔法を宿すこと自体は、そう難しくないらしい。  問題は、魔法を行使するために必要な『魔力』の存在だ。魔法にとって『魔力』は、ガソリンのようなもので、せっかく魔法を宿しても、『魔力』が無いと行使ができない。そして、『魔力』を保持しているかの有無や、多寡は、先天的な素養に大きく影響されてしまうようだ。  こちらの世界で『エルフ』と呼ばれるような、耳が尖っている種族が異世界にいるが、その種族は、先天的に『魔力』を多く生み出せる性質を持つらしい。その種族は、豊富な『魔力』を根源に、宿した魔法を強力かつ、多数、行使することが可能なのだ。  逆に『ミノタウロス』と呼ばれる頭が牛になった、筋骨隆々とした種族は、『魔力』の保持率が低く、行使する魔法も比較的弱い。しかし、その種族は、圧倒的な身体能力を有している。  残念ながら人間は、『魔力』も『魔法』も保持していない『ノーマジック』の種族に分類されるらしい。そのため、通常の方法では、魔法を行使することが出来ない。仮に、魔法を宿すことに成功しても、魔力がないため、その魔法は、無用の長物と化す。  おまけにフィジカル的な強さも哺乳類としては低いので、個々の戦闘能力は、異世界人と比較すると、かなり不利なようだ。そのことは異世界人との戦闘で、嫌というほど、人類は目にしていた。  人類側のアドバンテージは、文明的な能力らしい。異世界側、少なくともリウド国を凌駕する文明を人類は築き上げており、魔法に依存しない物質的な乗り物やスマートフォンなどの文明の利器なども、異世界人が身を見張るほど卓越したものに映るという。  直斗は以前、テレビで異世界の風景を見たことがあった。そこにはルネサンス時代を彷彿とさせる中世時代のような街並みが広がっていた。主な交通手段は馬車らしく、赤瓦屋根を持つ家々の間を、馬のような生き物が駆けていくその姿は、おとぎの国の映画を観ているようだった。  文明の規模自体は、こちらの世界における十六世紀ほどのレベルだと言われていた。しかし、それも、一概に照らし合わせることが出来るものではなく、いくつかの部分は、こちらの現代文明に近い技術も確立しているようである。  たとえば、テレビ放送やインターネットに似通った物も存在しているらしい。それは通信技術やインフラ技術が発達していることを意味している。それを踏まえ、PCやスマートフォンに近しいガジェットも異世界人は保持しているようだ。  それらは魔法をベースにしたものであり、こちらの世界のものと比べると、圧倒的に質が低いという。  理由は、やはり、異世界の魔法は、破壊や殺戮などの『戦い』に特化しており、文明発達のメソッドに組み込んだ場合、途端にその精度は、著しく低下するのだという。  そのような立ち位置に魔法があるからこそ、異世界人は個々の戦闘能力が強大である反面、築ける文明は、低レベルに留まっているのだと言われている。  直斗はそこまで調べ上げた後、手を止めた。  魔法についての情報は莫大にあるが、いざ調べ始めると、どれも似たり寄ったりな内容ばかりだった。魔法について、こちらの世界で判明している絶対数そのものが少ないせいだろう。  これから徐々に明らかになっていくはずである。そのため、この先、リアルタイムで魔法に対する情報収集を心がけるようにした方がいいかもしれない。  直斗はウィンドウズを終了させ、先ほど手を伸ばしかけていた『Z会のキソドリル』に手を付けた。  勉強に没頭しているうちに帰ってきた春香が、直斗の部屋に乱入し、纏わり付いて来る。やむなく中断し、相手をしてやる。  据え置き機のゲームで一緒に遊んでいると、蛍子がパートから帰ってきて、夕食となった。父の辰三の姿はない。今日も残業らしい。  食卓を囲みながら、春香の学校での出来事や友達についてのお喋りに相槌を打ちつつ、夕飯を口に運ぶ。途中、蛍子が留学生について質問してきたが、心配ないのだと直斗は断言した。やはり、他の保護者同様、異世界人に不安を抱いているようだった。  夕食を終え、入浴を済ませた後、直斗は就寝まで勉強を行った。キリがいいところで参考書を閉じ、床に着いた。
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