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第二章 告白
妙な夢を見ることもなく、翌朝、直斗は気持ち良く目を覚ました。春香と共にしっかりと朝食を取り、晴れた空の中、一緒に家を出る。
春香は相変わらずJENNIの服で纏めていた。今日は青のショートパンツとピンクカットソーだ。家の門の外で待っていた春香の友達も同じブランドのものを着ているようだ。小学生のファッションは没個性的な傾向にあるらしい。
途中、春香が通っている春日小学校方面へ向かう二人と別れ、直斗は一人で扶桑高校を目指した。今年は空梅雨らしく、雨が降る気配はなかった。相変わらず、強い日差しが燦々と照りつけている。
直斗は、扶桑高校へ到着し、二年三組の教室へと歩く。三組の教室に入る際、直斗は二組の方へ目を向けた。関係者以外の接近を禁じられたお陰か、それともまだレイラが登校を行っていないせいか、昨日とは打って変わって、教室の前は静まり返っていた。すでに登校している二組の生徒が、わずかにたむろしているだけだった。
直斗は教室に入り、自分の席に通学鞄を置いた。教室の隅にある席を見ると、木場がポツンと座っているのが目に入る。魔法はもう披露していないようだった。レイラの魔法が、木場の残り少ないファンを、全て掻っ攫って行ったらしい。
直斗は心の中で木場を哀れみながら、裕也の席へ行った。
「よお、今日は早かったな」
裕也はスマートフォンで、ゲームをやっていた。扶桑高校は、スマートフォンの校内持込を禁止にしてはいないが、緊急時のみの使用に限定されていた。しかし、それが遵守されるわけがなく、緊急時以外の使用が黙認されている状態となっていた。
「昨日が特別に遅かったんだよ」
直斗は裕也の隣の席に座り、スマートフォンを取り出す。裕也と共通のソーシャルゲームをやっており、時々一緒にプレイしていた。
裕也と直斗は、授業開始が迫るまでそのゲームをして過ごした。
一時限目は現代国語だった。中島敦の『山月記』を習う。戦時中に書かれた変身譚だった。
優秀だが、傲慢な李徴は、没落の末、虎になってしまう。李徴は、手に入れた強靭な爪と牙をもって人を食い殺す。
それは、虎になったために薄れ行く自意識の欠如のせいだと李徴は語っていたが、自意識を保っていても、李徴は同じことをしただろう。仮に、自由に人間へ戻れたとしても結果は同じだ。いずれ禁軍などに捕えられ、悲惨な運命を辿るはずだ。
過ぎた力は使うべきではないのだ。例え善行に使っても、ろくなことにはならないものだ。
やがて、一時限目が終了し、休み時間が始まった。俊一が直斗の元へやって来る。
「レイラさんを一目見に行かない? 友達に頼めば入れてくれると思うよ」
昨日と変わらず、俊一は美少女留学生に熱心だった。鼻息荒く言う。
「俺も着いて行くぜ」
裕也もいつの間にか傍にいて、同行を申し出る。
「いいよ。一緒に行こう」
俊一がそう答えるのと同時だった。
教室の後方にある出入り口付近から、よめきが聞こえた。
直斗はそちらを向いた。
直斗の目に映ったのは、レイラだった。たった今、三人が会いに行こうとしていた人物が、この教室に入って来たのだ。
三組の教室は、アイドルの突如とした訪問に、色めき立った。そのような生徒達の視線を一斉に受けながら、レイラは、気にする素振りを一切見せず、教室の中を進み始めた。
教室にいる生徒達が目で追う中、レイラは金色の綺麗な髪をたなびかせ、直斗達がいる方へと向かって来ていた。視線も直斗達を捉えているように見える。
レイラのその行動を見て、直斗は自分達に用があるのではないか疑った。
しかし、すぐに、まさかと否定する。そんなはずは無かった。接点など、全くないのだから。
直斗がそう思考したのも束の間、そのまさかであることが判明する。
直斗達のすぐ目の前まで来たレイラは、そこで立ち止まった。そして、直斗をまっすぐ見据え、大きな目を直斗へ向けながら、小さな唇を開いた。
「あなたが藤崎直斗君?」
レイラの綺麗な声に、直斗は反射的に頷いてしまう。
そして、レイラは驚くべきことを口にした。
「あなたが好きになりました。私と付き合ってください」
レイラは周囲に憚ることなく、大きな声で、そう告白を行った。そして、ぺこりと頭を下げる。
直斗は一瞬、頭が真っ白になった。
隣に居る俊一が、殺人現場を目撃でもしたかのように、小さな呻き声を上げた。裕也は唖然とした表情で、レイラを凝視する。
一連の展開を見守っていた教室中の人間も、始めは静まり返っていたが、たちまち火がついたかのように、ざわざわと騒ぎ始めた。
その喧騒の中、直斗の脳裏には、様々な疑問文が渦を巻いた。
一体なぜレイラが自分に告白を? 昨日留学してきたばかりなのに? 何かしら裏があるのだろうか? それとも本心で言っているのだろうか?
想像だにしなかった、異世界人の美少女からの告白に、直斗の頭は混乱を来たしていた。喜びや嬉しさと言った感情は生まれず、ただ、動揺が直斗の胸を覆っていた。
女子からの告白は生まれて初めてだったが、こんなに心がざわめくものなのか。それとも相手が異世界人だからなのか。
直斗の心中に、複雑な思いが去来する。
いつの間にか周りが静かになっていたので、直斗は周囲を見渡した。すると、そこでクラスメイト達の視線が全て、自分に注がれていることに直斗は気が付く。そして、その視線に込められた意味を、テレパシーのように感じ取った。
皆、レイラの告白に対する、直斗の答えを待っているのだ。恋愛ドラマのクライマックスシーンを見ているかのような、興味津々とした様子で。
レイラも、人形のように可憐な顔を直斗に向けたまま、辛抱強く返答を待っていた。
直斗は唾を飲み込み、答える。
「ごめんなさい」
直斗は頭を下げ、断りの言葉を発した。なぜだがわからないが、ここは断るべきだと直感が告げているような気がしたのだ。
レイラは悲しそうな顔を見せた。そして顔を伏せる。
再び、周りが騒がしくなる。直斗を非難するような声が一部から発せられた。
裕也は今度は、責めるような目を直斗に向けていた。断るなんて何を考えているんだ。この馬鹿は、とその目は語っていた。
一方、俊一は、困惑したような表情で直斗とレイラを見比べていた。レイラの反応を気にしているらしい。
レイラは顔を上げた。その顔は笑顔に変わっていた。天使のような、見るもの全てを魅了させるような笑顔だった。チラリと長い八重歯がのぞく。それも魅力を助長させるチャームポイントとなっていた。
「そう。ごめんなさい。突然、こんな告白をしてしまって」
レイラは申し訳なさそうに言うと、再びぺこりと頭を下げた。そして続ける。
「でも、本当にあなたのこと好きになったの。だから……その……」
レイラは迷うような仕草をした後、決心し、口を開いた。
「付き合うのが駄目なら、友達からでお願いします」
そして、今度は深々とおじぎをした。
レイラの二度目の告白に、直斗は再度、当惑する。どうしようと思う。周囲のクラスメートや、裕也達から、刺さるような視線が自身へと向けられているのを直斗は、肌で感じ取っていた。そこには、拒否権を認めないような、妙なプレッシャーが含まれている気がした。もしも、これすら断れば、非難轟々かもしれない。
「わかった。友達からなら」
意を決して、直斗は了承を行った。さすがにクラスメイト全員を敵に回したくない。まだ学園生活は、続くのだから。
レイラは太陽のように明るく顔をほころばせ、喜んだ。今にも抱きつきそうな程に体を近付け、直斗の顔を見つめたまま、直斗の手握った。レイラの豊満な胸が、手に当たりそうになる。
直斗は恥ずかしくなって、周囲を見渡した。羨ましそうな表情の俊一と目が合った。他に目を移すと、他の生徒達も、羨望や嫉妬と言った感情が読み取れる表情をしていた。
直斗は、再びレイラに視線を戻す。その時、レイラは直斗の顔ではなく、直斗の体の『ある』部分を見ていた。直斗の視線が自身に戻ると同時に、レイラは『そこ』から目線を慌てて戻したのだ。
そのように直斗の目には映った。だが、一瞬のことなので、確信は持てなかった。
その後、レイラは何事もなかったように、スマートフォンを取り出し、直斗に連絡先の交換を申し出た。
直斗は言われるまま電話番号やメールアドレス、SNSのID等の情報を交換する。その最中も、周囲にいるクラスメイト達からの視線を、痛いほど感じていた。
やがて、授業が始まるので、レイラは明るく手を振りながら、自分のクラスへ帰っていった。
レイラの姿が見えなくなると、三組は蜂の巣を突っついたように、騒ぎ立った。
「羨ましい」「信じられねえ」「直斗みたいな奴がタイプなのか」
目の前で起きた『逆』シンデレラ劇のような告白を、目の当たりにしたクラスメイト達が、口々に囃し立てていた。
志保も一部始終を目撃していたようで、目を丸くしながら、近くの友達と会話をしている。木場も興味の琴線に触れたらしく、いつの間にか遠巻きに伺っていた。なぜか不機嫌そうな表情で、直斗を見つめている。
一番近くで事の顛末を目撃していた裕也と俊一も、他のクラスメイト同様、驚きを隠せないでいた。
裕也は羨ましそうな顔で、直斗にすがり付き、疑問の言葉を投げかける。
「なんでお前が告白されるんだよ。意味がわからねえ」
俊一も加わる。
「昨日この学校に来たばかりなのに、好きになったって、そんなことありえる? しかも直斗相手に。それに、そもそも全く接点無かったのに、どうやって知ったんだよ」
二人共、次々に「何で何で」を繰り返した。レイラの直斗に対する告白自体を、信じられない様子だった。だが、それは直斗も同じであるため、説明は不可能だった。
始業のチャイムが鳴り、浮雲急を告げた休み時間は終わりを迎えた。俊一達や、ギャラリーとなっていた他のクラスメイト達も、名残惜しそうに自分の席へと戻っていく。裕也は「続きは次の休み時間な」と言い残し、その場を後にした。
社会の教師が教室へと入ってきて、二時間目の授業が始まる。しかし、教室中、どこか浮き足立っているような、落ち着かない雰囲気に包まれていた。一日で学校のアイドルとなった異世界人が、自分達のクラスメイトに突然、告白を行ったのだ。一つのアクシデントとして、クラスメイト達の中に刷り込まれたのだろう。
当事者である直斗は、思案にふけっていた。その理由は、レイラから告白を受けたという点ではなく、その背後にあるであろう意図のせいだった。
異世界人からの告白という点が、あまりにも『ピンポイント』過ぎていた。数多くいる生徒の中で、よりによって、自分を選んで来たのだ。
もしもこれが、直斗の背景にアレーナ・ディ・ヴェローナの一件が無ければ、これほど疑うことはなかったはずだ。だが、火薬庫のように、懸念材料だらけの自分に接触してきた以上、何かしらの思惑があると思わざるを得ない。それらの『点』が『線』となるのは容易いからだ。
例えば、直斗が『ロビン・フッド』だという何かしらの証拠を掴み、接近を企てた可能性が考えられる。異世界側から『ロビン・フッド』に対し、賞金がかかっているという噂があり、それが事実だと仮定して、レイラは賞金目的で直斗に接触してきたのかもしれない。
公にせず、単独での接触も、賞金を独り占めにしようという、魂胆があってのことではないだろうか。
確証のない、憶測だが、警戒は必要だった。
考え事をしているうちに、社会の授業が着々と進んでいた。今日は三権分立の一つ、国会についての内容だったが、頭に入らなかった。議員立法とはなんだろう。現代社会は、センター試験でも取りやすい科目なので、これではまずいと思う。復習が必要だった。
休み時間になると、申し合わせたように、裕也や修一達、他のクラスメイト数名がわらわらと、直斗のところへ集まって来た。レイラの件に対する質問や、冷やかしのためだろう。
その中には志保もいた。ちゃっかりと、野次馬を楽しむつもりのようだ。
裕也を筆頭に、クラスメイト達が直斗を取り囲む。直斗はこれからリンチを受けるかのような、妙な圧迫感を覚えた。
だが、しかし、質問責めは行われなかった。
理由は、再び、レイラが三組の教室へやってきたからである。
レイラは教室の中へ入ると、一直線に直斗の席へと向かってくる。今回は二組にいたレイラの取り巻きの女子達が、後ろに付き従っていた。
その親衛隊とも言うべき女子達は、主であるレイラの告白を聞き及んでいるのか、若干、敵意を持ったような固い表情を晒していた。
レイラ達が近づくと、それまで直斗を取り囲んでいたクラスメイト達は、道を空けるため、モーゼが渡った紅海のように、二つに割れた。
その海を渡ったレイラ達は、直斗の元へたどり着いた。レイラは、二重の綺麗な目で直斗を見つめ、口を開く。
「また会いに来てごめんね。どうしても顔を見たくなっちゃって」
開口一番、熱を帯びたように、レイラはそう言った。
周りの二つに割れた海から、溜息のような声が漏れる。
「別にいいよ」
『友達から付き合う』を了承した手前、拒否するわけにも行かず、直斗は許諾した。それを受け、レイラは嬉しそうに微笑んだ。
レイラの後ろで控えている親衛隊が、レイラの反応を見て、不愉快そうに直斗を睨む。
「そう。よかった。授業中もずっとあなたのことが頭から離れてくれなかったから」
レイラは赤面するような言葉を平然と口にした。他の人間がこんなセリフを吐いていたら一笑するであろうギャラリーは、恋愛ドラマのヒロインを見るような目で、レイラに視線を注いでいた。
直斗が返答に窮していると、そのギャラリーから、おずおずとした声が上がった。
「あのー、どうして直斗を選んだんですか?」
声の主は、裕也だった。裕也はなぜか敬語だった。
裕也の質問に、周囲のギャラリーが静まり返る。全員が気になっている事柄なのだろう。皆、答えを促すように頷いていた。
それについては、直斗も知っておきたいポイントだった。本心が述べられるかどうかはわからないが、例え建前だろうと、レイラの意図を把握するための糸口にはなるかもしれない。
戸惑った表情を浮かべているレイラに向かって、直斗は背中を押す。
「俺も知りたいかな」
直斗の要望に、レイラの表情がパッと明るくなった。
「直斗君がそう言うなら」
レイラは快く、了承した。周囲から小さな歓声が上がる。皆、押し黙り、レイラに注視した。レイラの後ろにいる親衛隊も知りたかったようで、固唾を呑んで見守る姿勢を取った。
レイラは恥ずかしそうに躊躇っていたが、やがて口を開いた。
「その……とても『良い匂い』がするから」
予想外の言葉に、直斗は最初、聞き間違いではないのかと思った。
「え? におい?」
側で聞いていた志保が、怪訝な声で返答をする。
周りのクラスメイト達や親衛隊も、一様に怪訝な表情を浮かべていた。そのことから直斗は、自分の聞き間違いではないのだと悟る。
しかし、匂いとはどういう意味だろう?
直斗は思い切って尋ねた。
「においって、体の匂い?」
レイラはコクッと頷いた。
「うん。あなたの体の匂い」
「どんな?」
「言葉では言い表せないくらい、素敵な匂いだよ」
レイラはあいまいな言い方をしたが、本心で言っているらしい。本当に「匂い」で好きになったようだ。
だが、そのような理由で人に惚れるとは珍しい例だった。異世界人特有のものか、それとも……。
レイラは、直斗の「匂い」についてさらに言及した。
「昨日、直斗君が私のクラスに来たでしょ? その時に、いい匂いがするなって、思って、そっちの方見たら、直斗君がいたんだよ」
直斗の脳裏に、昨日、裕也達と共にレイラを見物しに行った時の光景が蘇った。確かに、レイラは、あの時、不意にこちらに視線を向けた。
それにはこういった意味があったのだ。
「結構、距離があったのに、よく匂いなんてわかったね」
直斗が疑問を口にした。
「うん。どんなに離れてても、直斗君の匂いはわかるよ。それだけ良い匂いだもん」
そう言うと、レイラはうっとりとした目で直斗を見つめた。
直斗の背中に、僅かだが、冷たいものが走った。その目の奥に、うっすらと、淫靡で歪んだ炎を垣間見た気がしたのだ。
他の皆は、レイラの発言に、不思議そうな顔をしているだけで、別段、変わった反応を見せていなかった。その炎を感じたのは直斗だけのようだった。
気のせいだろうか。
「直斗って、そんなに良い匂いしたっけ?」
俊一は、直斗の心中を察することなく、無遠慮に直斗の首に鼻を近づけると、犬のように匂いを嗅いだ。
「別に無臭だけど」
俊一は首を捻る。直斗は、あからさまに匂いを嗅がれたことに不快感を覚えたので、非難の声を俊一に対して浴びせた。
「やめろよ。気色悪い」
「だって」
俊一は口を尖らせる。直斗は、俊一の無神経さに呆れて、目線をレイラに向けた。
レイラは口元に手を当て、恨めしそうな顔で、俊一を凝視していた。直斗が見ていることに気が付くと、レイラは、ハッとしたような表情になる。そしてすぐに、柔らかいクリームのような、これ以上ないほどの愛くるしい笑顔になった。
その時、チャイムが鳴り響いた。
レイラは寂しげな表情で、直斗に別れの挨拶を行い、その場を離れる。親衛隊は相変わらず、直斗が敵兵であるかのように、憎悪がこもった目を放ちながら、レイラの後に続いて、三組の教室を出て行った。
その次の休み時間も、レイラは直斗に会いに来た。レイラは前の休み時間と同様に、強い恋慕の気持ちを抑えることなく、直斗に接して来る。
直斗はそれに対し、内心戸惑いながら、レイラを不快にしない程度に、歩調を合わせていた。
昼休みになると、レイラは、昼食を直斗と共に食べることを申し出た。
直斗は、普段、昼食は裕也達と一緒に学食で食べていた。そのため、四人でテーブルを囲むことになる旨をレイラに伝えた。
すると、レイラはどうしても、二人だけで食べたいと懇願した。
直斗が困っていると、裕也と俊一は快くそれを許諾し、あっさりと身を引いた。二人共、レイラにあれほど熱心だったのだが、本人を前にして、尻込みをしているようだ。
直斗も、休み時間と同じ理由で、無理に突っぱねることができず、首を縦に振らざるを得なかった。
相手のペースに乗せられているような、嫌な予感を覚えながら、直斗はレイラと共に学食へ向かった。
食堂に着いた直斗は、入り口にある券売機で食券を購入し、カウンターで料理を受け取った。今日は日替わり定食にした。安っぽい煮サバや、ご飯類をトレイに載せる。
レイラは弁当を持ってきていたので、先に席を確保していると言っていた。
直斗は、大勢の生徒でごった返す食堂内をトレイを持ったまま歩き、レイラを探す。
「直斗さん、こっち」
大きな声がかかる。レイラが窓際のテーブル席から直斗に手を振っていた。窓から差し込んだ陽光がレイラの髪の毛に当たり、後光のように美しく煌いている。
レイラは、すでに衆目を集めていた。周囲のテーブルに座っている生徒達がじろじろと無遠慮にレイラに目を向けていた。そして、直斗にもその目が注がれる。
直斗はレイラの対面に座り、食事を始めた。食堂の至る所から、自身に、生徒達の視線が集まっているのを直斗は実感した。
周りからヒソヒソと、噂話のような声が聞こえてくる。
「留学生と一緒に座っている奴、誰だ?」
「あの人、レイラさんとどんな関係?」
「さっき聞いた話だけど、実はレイラさんが告白した相手なんだって」
「えー、うそ。あんな地味な人がレイラさんみたいな人から告白されるんだ」
周囲の会話が直斗の耳に突き刺さる。
直斗は居心地の悪さを感じた。今すぐにでも、この場を立ち去りたい気持ちに襲われる。
直斗は、同じ状況下にいるレイラの様子を伺った。
レイラは、他生徒達の視線や噂話に気付いていないのか、または、気にも留めていないのか、平気な様子で、器用に箸を使いこなしながら、弁当を食べていた。
レイラは、直斗と目線が合う度に、にっこりと優しく微笑む。
周囲の生徒達の目線に加え、レイラのその仕草のせいで、ますます直斗は羞恥に苛まれた。
直斗は気を紛らわせようと、レイラが食べている弁当箱に目を落とす。
レイラの弁当の中身は、一見すると、ごく一般的なもののように思えた。白米に、ウィンナー、卵焼き、レタスやプチトマトなど、こちらの世界でありふれている食べ物だ。
異世界人が食べる物は、そのほとんどが、人類側の食物と違いがないのだと直斗は耳にしたことがある。消化器官や内臓の造りが「ほぼ」同一らしいのだ。そのため、それぞれの世界で居住する場合でも、お互い、食文化で齟齬が生じる危険性は低いのだという。
異世界とこちらの世界において、数少ない、共通した利点の一つだった。
直斗はレイラが弁当を食べる姿を見ていると、ある疑問が頭に生じた。
「ねえ、レイラさん、その……」
「レイラって、呼んで」
レイラは甘えた口調でそう要求した。
「わ、わかった」
直斗は困惑しながら、頷いた。
そして続きを言う。
「それで、その、レイラって吸血鬼だよね」
「そうだよ」
レイラはあっさりと首肯する。
「吸血鬼って、普通のご飯も食べるんだ」
「うん。他の種族と同じように、ちゃんと食物から栄養を摂らないといけないから」
「それじゃあさ『血』って何のために飲んでるの?」
直斗の質問に、レイラはピタリと動きを止めた。表情も一瞬、硬直したように見える。その反応により、直斗は、過ぎた質問を行ってしまったと思い、ぎくりとする。
だがそうでは無かったようだ。
レイラは問題なく、答えてくれた。
「私達にとって『血』というものは、『水』や『食料』とは別に、どうしても体に取り込む必要がある、必須栄養素みたいなものかな」
「もしも血を飲まなかったら?」
「栄養不足で、死んじゃうよ。タンパク質やビタミンを摂れない事と同じだから。でもそうなる前に、喉が渇いたようになって、物凄く血を飲みたくなるけど」
レイラは平然と言う。
「そうなんだ」
直斗は頷き、さらに質問を続ける。これも学校からの説明があった時から、気になっていたことだった。
「学校に血を持ってきてるんだよね? それって何の血なの?」
「吸血鬼用に育てられている『家畜』の血だよ」
そんな家畜がいるのかと、直斗は驚いた。だが、考えてみると、当然の話ではある。血そのものを、家畜以外から、日常的に摂取できるわけはないのだ。
「その家畜を殺してから、血を取り出しているの?」
「ううん。死なせずに、血だけ搾り出しているよ。牛みたいに」
「ということは、牛乳みたいにリウド国の店で売ってたりするの?」
少し不気味な話だが、文化がかなり違うため、あり得る話だった。
直斗の質問に、レイラは頷いた。
「うん。売ってるよ。中には、個人で自前の『家畜』を自宅で飼って、血を摂取している人もいるけど」
レイラの話を聞き、直斗は、酪農場の乳牛が『血』を搾り取られている姿をイメージした。酪農家が、乳牛の乳を絞り、排出させているのはドス黒い『血』である。バケツ一杯に溜まったその『血』は、牛乳と同じように殺菌された後、パッケージングを施されるのだ。そして、トラックにより搬送され、店頭に並び、やがて食卓へたどり着く。
それが血であるため、少々グロテスクに映るが、その実、他の食品と大差が無い。むしろ、肉や魚のように、命を奪っていない分、穏健的に思える。
そうやって、平和的かつ、文明的に血の供給路を確保しているのであれば、御神が主張しているように、吸血鬼達の『血を求める』ことに対して、さほど警戒する必要はないかもしれない。
彼女達は野蛮人ではなく、文明人なのだ。ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』とは違い、その牙を人に向ける危険性が低いと言えるかもしれない。
「わかった。ありがとう」
直斗は礼を言い、食事に戻る。しかし、次はレイラから質問が飛んできた。
「気になる?」
「え?」
「私が『血』を飲むこと」
直斗は一瞬、たじろぐ。自身の質問のせいで、レイラにおかしなを疑念を与えてしまったのでは、と不安になった。
「いや、そういうわけじゃないけど……」
直斗は、誤魔化すように小さく笑いながら、否定した。
しかし、レイラは逃そうとはしなかった。質問を続ける。
「今度、私が血を飲む所を見せてあげようか?」
「い、いや、いいよ」
学校側の説明では、吸血鬼二人は、水筒やパックに血を入れ、持参しているらしい。そのため、その血を飲むとしても、お茶やジュースを飲んでいる姿と変わらないかもしれない。しかし、中身が血である以上、ちょっとした拒否感を示してしまう。
「そう。見たくなったら、直斗にはいつでも見せてあげるね」
レイラは意味深な笑みを浮かべ、親しげに下の名前で直斗を呼んだ。そして、食事を再開する。
心の中に、微妙な引っ掛かりを覚えながら、直斗も食事に戻った。周囲の席に座っている生徒達が、チラチラとこちらの様子を伺っているのを、目の端で捉える。問題はないはずだが、今までの会話は全て筒抜けになっていたのかもしれない。
直斗は、相変わらずの居心地が悪い中、すでに冷めている鯖の切り身を口に運ぶ。
やがて、二人は食事を終え、今だ集中している視線を受けながら、食堂を後にした。
直斗は三組の教室へと戻った。やはりと言うべきか、レイラは何の躊躇いもなく、直斗の後に続いて、三組の教室へと入って来る。まるで三組の生徒になったかのようだった。しかし、三組のクラスメイト達にとっては、歓迎するべきことらしく、非難するような人間はいなかった。
教室にはすでに裕也と俊一がいた。二人共、直斗達とは別に、食堂で食事を済ませ、一足早く、戻って来ていたようだ。
直斗の後ろにレイラが着いて来ているのを確認し、裕也と俊一の表情は明るく輝いた。意気揚々と話しかけて来る。
「おかえり。二人共食堂で、注目の的だったじゃん」
俊一が食堂の光景について言及した。どこに居たかはわからないが、俊一達も同じように、直斗達に視線を注いでいたようだ。
「うん。恥ずかしかったよ」
直斗は返事をしつつ、裕也の隣の席に座る。レイラも近くの席に座った。
そばに来たレイラに嬉しさを覚えたのか、裕也は興奮気味になった。
裕也は、そのテンションのまま、質問を行う。
「レイラさん、昨日聞いたんだけど、自分の教室で魔法を披露したみたいだね」
裕也は午前中と違い、敬語ではなく、タメ口を使った。
「うん。披露したよ」
レイラは隠すことなく、微笑みながら答えた。
「俺たちにも見せて欲しいな」
裕也は、無遠慮にお願いをする。
「やめろ。失礼だぞ」
俊一が裕也を嗜めた。しかし、その言葉には力が篭っていなかった。俊一も、魔法を見てみたいと思っていることの表れだった。
魔法の披露を催促されたレイラは、催促して来た裕也の顔ではなく、直斗の顔を見つめた。犬が主人にお伺いを求めるような、媚びを含んだ表情だった。
レイラは以前と同じように、直斗に決定権を委ねるつもりらしい。直斗はそれを悟った。
直斗も今後のために、間近でレイラの魔法を確認して置きたかった。レイラの真意が何であれ、脅威となり得るものに対する情報は、早めに得て置く必要がある。また、魔法そのものの情報も、可能な限り、多く欲しかった。
「俺からも頼むよ。レイラの魔法、見せてくれる?」
直斗はレイラにそうお願いをした。レイラは褒美を貰った犬のように、嬉しそうに顔をほころばせ、頷く。
裕也と俊一が同時に「おーっ」という歓喜の声を上げる。直斗達から離れた場所で、こちらの様子を伺っていた何名かのクラスメイト達も、会話が耳に入っていたようで、興味津々に視線を投げかけて来た。
その衆目の中、レイラは立ち上がった。直斗達の前にスペースを作るため、少し後退する。そして、見えない壁に触れるように、両手を前に突き出した。
一瞬だった。瞬きほどの時間で、音も無く、直斗達の目の前に、人の背丈ほどの氷像が出現した。まるで、ワープして来たのかと錯覚する程の早さだった。
「すげー」
裕也が唖然としたように呟いた。遠巻きに伺っていたクラスメイト達も、驚愕の表情を浮かべている。
「物凄く早く作れるんだね」
直斗は感心したように訊いた。実際、発動スピードは、直斗の予想を越えるものであった。
「うん。直斗が見ていたから、張り切っちゃった。それに、この氷像は直斗をモデルにしたものだよ」
レイラは、微笑みながら、氷像の頭をまるで恋人のように、愛おしそうに撫でる。
強い冷気を周囲に振り撒いている、氷像の顔を良く見ると、確かに直斗の顔にそっくりだった。
「ねえ、他にはどんなのが作れるの?」
直斗は自身を模した氷像から目線を外し、レイラに質問をする。
「なんでも作れるよ」
「最大でどれくらいの大きさを作れる?」
直斗にそう訊かれ、レイラは人差し指を唇に当て、考える仕草をする。愛らしいその姿に、裕也が思わず「かわいいー」と溜息混じりに呟いた。
レイラは直斗の質問に答えるのに頭が一杯のようで、裕也の賞賛など、耳にすら入っていなかったようだ。
レイラは答える。
「この高校の敷地くらいは氷付けにできるかな」
「ええ!? すごいね」
俊一が度肝を抜かれた声を上げた。
「それじゃあ、一年前の決闘で出てた異世界人達より強くない?」
俊一の問いに、レイラは頷く。
「あの決闘に参加した人達は、実は参加希望者の中から抽選で選ばれたんだ。つまり、強さで選ばれたわけじゃないってこと。精鋭や軍人じゃないから、私でも勝てる可能性はあるかな」
レイラは少し自信ありげに、直斗の顔を見ながらアピールをする。
レイラが今言った内容は、直斗も以前、テレビのニュース特集で、見知っていたことだった。
リウド側が何度か、こちらの世界に対し、敵情視察を行った際、こちらの世界のあまりの脆弱さに、決闘の際は、一般人でも勝てるとそう判断したようだ。そのため、成人している自国民を条件に、一般人でも参加可能の応募形式にしたのだ。
それにより、参加した者達は皆、好戦的なものの、必ずしも戦闘のプロというわけにはならなかったようだ。
そして、それが裏目へと出る結果となった。
「それじゃあさ、『ロビン・フッド』には勝てる?」
俊一の口から唐突に、自分のもう一つの名前が飛び出し、直斗はドキリとする。
「うーん、どうかな。とても強いと言われているけど、ロビン・フッドに勝てる、って言っている人も大勢いるからね。だから、実際のところ、わからないかな」
「ロビン・フッドに賞金が懸けられているって話、マジなの?」
裕也が口を挟む。
「私も噂程度しか聞いたことがないから、本当かどうかは知らないよ」
レイラは、困ったように首を振った。
「だけど、ロビン・フッドって今、どこでなにしているのかな? あれだけ世界中が探したのに、全く正体がわからないなんて」
修一が自分の顎に手を触れながら、不思議そうに言う。
「未だに、人種すらわかってないんだろ?」
裕也の問いに、俊一は頷いた。
「俺、ロビン・フッドについて色々調べたけど、信憑性のある情報は殆ど無かったよ。まあ、世界中の情報機関を総動員しても探し出せていない以上、当然の話だけど」
「もしかしたら日本人だったりして。しかも千葉に住んでるとか」
「そんな偶然あるわけないだろ」
修一は鼻で笑った。
直斗はロビン・フッドについての二人の会話を聞きながら、レイラの様子を伺っていた。
レイラは、ロビン・フッドの話題が出ても、特に変わった反応を見せていなかった。直斗がロビン・フッドだと疑い、それを隠しているというよりは、ロビン・フッドそのものに、興味を抱いていないように見える。
今も、レイラは、裕也や俊一の会話など眼中になく、直斗の方ばかりを気にしていた。あくまで、直斗自身が興味の対象だと言わんばかりだ。
早計かもしれないが、レイラの反応を見る限り、直斗に対し、ロビン・フッドの疑いを抱いているようには思えない。巧妙な演技だと言われればそれまでだが、どうしても、そんな様子には感じ取れないのだ。
ならば、どうして自分に告白をしたのだろうか。本当に、純粋な恋心を抱いたと言うのか。
レイラが言及した直斗の『匂い』の件、レイラが時折行う不審なアクション。それらは、ある一つの事実を指しているのではないかと思う。
チャイムが鳴り、昼休みが終わりを迎えた。レイラは自身の教室へと戻る前に、氷像に手を伸ばした。レイラの指先が氷像に触れたかと思うと、細かい塵のようになって、たちまち消滅した。岩石の風化を早送りにしたかのような光景だった。
周りから歓声が上がる。レイラの氷の魔法は、一瞬で氷を発生させる事ができ、その上、それを瞬時に消滅させることが可能なのだ。そして、レイラの言葉通り、能力の規模が、高校の敷地を埋め尽くす程ならば、兵器レベルの、相当なポテンシャルを有していると言えるかもしれない。
レイラは相変わらず、名残惜しそうな表情を浮かべながら、三組の教室を出て行った。やがて、すぐに五時限目の担当教師が入って来て、授業が始まった。
午後の授業が全て終わり、下校時間になった。
直斗はいつものように、帰宅の準備を終え、教室を出ようとした。
しかし、教室の出口でレイラの待ち伏せを受けた。レイラの背後には、例のごとく、親衛隊が控えている。
レイラは直斗と一緒に帰宅を望んできた。大胆にも、直斗の家まで行き、部屋を見たいと申し出たのだ。
昨日今日会ったばかりとはいえ、飛び抜けた美少女からのお誘いである。据え膳食わぬは男の恥、の言葉通り、本当は受け入れるべきものなのかもしれない。
しかし、直斗の中に強い拒否感が生まれていた。もしも、レイラを家の中に招き入れたら、良くないことが起きる、そんな予知めいた想いが、直斗の頭に去来したのだ。
直斗は用事があるからと嘘をつき、逃げるようにしてその場を離れた。親衛隊の非難の声が直斗の背中に浴びせられる。その非難の声に混ざって、レイラの鋭い視線を強く感じた。
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