第五章 決着

1/1
前へ
/16ページ
次へ

第五章 決着

 クマムシという微生物がいる。宇宙でも生存が可能な、完全無欠の生命力を持つ生物として有名だ。その生命力の秘訣が仮死にある。その仮死は乾眠、クリプトビオシスと呼ばれ、無代謝の休眠状態のことを指す。  仕組みとしては、体内の水分がトレハロースへ変わると同時に血液の粘土が増大し、体組織を破壊することなく休眠状態へと陥る。  仮死状態から抜け出すには、その逆で、水分を与えるだけでいい。  直斗もそれと同じようなことを行った。そのため、仕込みが必要だった。  レイラが自身を殺さないことは明白であり、そして、運ぶために接触することも予想していた。  簡単な仕掛けだった。まずは新たに傷を作り、噴出した『血』を多めに腹に塗りつける。そしてその後、体内のブドウ糖をトレハロースへ変換した。その状態になると、低体温症とは関係なく、仮死状態になる。  腹に塗った血は、わざと低温下で凍るようにした。そうすれば、血の匂いに敏感なレイラの鼻を欺けるからだ。  そして、レイラが直斗を担ぎ上げた状態に移行すると、レイラの体温でその凍った血は融ける。そうすると、その血が水分の役割を果たし、体内に吸収される。そして、仮死状態から目が覚めるのだ。  子供だましのトラップだったが、レイラは容易く引っ掛かってくれた。直斗を欲しいがために、ろくに警戒をしなかったのだろう。  低体温症に陥っていたわけではないので、復活は早かった。体温が戻ったお陰で、再び滲み出した手の平の『血』による攻撃を、至近距離でレイラに加えることができた。  『血』の爆破攻撃を受けたレイラは、激しく氷の上を転がり、樹氷へと激突する。樹氷は砲撃を受けたかのように、根元から砕け散り、倒壊した。  砕けた氷の中、レイラは苦しそうに悶えていた。右手と左足は明後日の方へと折れ曲がり、破けた服の隙間から、骨が皮膚を突き破って外に出ている。まるで出来損ないの人形のようだった。  直斗はレイラに歩み寄り、見下ろした。  「ど、どうして……」  レイラは、血まみれの顔で直斗を見上げ、声を振り絞って訊く。  「何で動けるの……? 完全に低体温症にかかって動けなかったはず」  「低体温症になったフリだよ。さっさと片付けるために、近寄って欲しかったからな」  「鎖は? あれを切れるはずがない」  むしろ直斗にとって、レイラのその言葉が意外だった。  「そうだったのか? 簡単に千切れたぞ」  さらりと直斗は感想を言った。それを聞いたレイラは言葉を失う。  レイラの反応を見る限り、あの鎖はよほどの性能を持つ代物だったらしい。異世界の道具もさほど大したことがないようだ。  一通り問答が終わり、直斗はレイラを見下ろした。レイラは息も絶え絶え、苦しそうに直斗を見上げている。しかし、その目の奥には、未だ欲望の光が渦巻いていた。  「さて……」  どうしよう。  直斗は悩んだ。このままレイラを見逃すことはありえない。レイラは知り過ぎている。もはや、直斗にとって、レイラはアキレス腱となっていた。  殺すしか選択肢はなかった。気が進まないが、もうどうしようもない。それに時間も差し迫っている。そろそろ人が集まってくる頃だ。  決断しないと。  直斗は右手を強く握り締め、傷口から血を溢れさせた。  レイラは薄っすらと開けた目で、それを見ていた。無反応だが、これから、何をされるのか理解している様子だ。  このままレイラへ血を垂らし、その後吹き飛ばす。苦痛なく逝けるはずだ。  血を垂らすため、直斗がレイラの真上へ手を伸ばした時だった。頬に何か、冷たいものが当たった。  雨だった。見上げると、空は雲に覆われていた。今まで出ていた月も、見えなくなっている。  すぐさま雨は激しくなり、土砂降りとなった。梅雨特有のゲリラ豪雨だろう。  直斗が、レイラに視線を戻した時だった。  レイラの笑みが目に入った。禍々しい、狂気に満ちた笑みだった。  周囲の全てのものが、一瞬にして凍りついた。大量に降り注ぐ雨粒全てを、氷へと変えたのだ。  地響きが発生した。新たに生まれた氷と、それまで辺り一帯を覆っていた氷が、直斗へと一斉に襲い掛かった。  それは氷の津波と言えた。雷鳴のような轟音を響かせながら、津波は直斗を飲み込んだ。そして、棚氷のような、厚みのある巨大な氷の塊へと変貌し、動きを止めた。  レイラが居た場所だけ、台風の目のように、空間がぽっかりと空き、津波の被害から免れていた。    レイラは自身を囲む氷の塊の中で、大きな笑い声を上げた。なんという幸運。万事休すかと思った矢先、急に雨が降ってくれた。天は私の味方だ。  心の中で、レイラは仕留めたと確信した。本来なら、大抵の生き物はこれで死ぬはずだった。幾度となく、様々な命を奪った氷なのだ。   だが、あの鎖から抜け出ることが可能な直斗の場合は例外だろう。信じ難い脅威だが、死んではいないはず。  しかし、確実に瀕死状態のはずだ。  レイラは、折れた手足を庇いながら、体を起こした。そして、その折れた手足を氷で補強する。  レイラは何度か体勢を崩しながら、何とか立ち上がった。貧血のような眩暈を覚える中、直斗が飲み込まれた部分へと目を向けた。  驚くべきことが起きた。  レイラの目はそれにより、驚愕に見開かれた。  辺り一帯の氷全てが、一瞬にして吹き飛んだのだ。まるで砂の塊を爆破したように、瞬時に氷は粉微塵になって、中空へと散った。  ダイヤモンドダストのように、氷の粒が舞い踊る神秘的な景色の中、立ち上がったばかりのレイラは、再びその場へと座り込んだ。  「化け物……」  レイラはぽつりと呟いた。  レイラの心の中に、強い恐怖と尾上がが芽生えた。それは、抗いようがない天災に巻き込まれた時に似ていた。  鎖を引き千切った事実を合わせて、確実に言えることがある。  この人間は、生物としての、理を越えた強さを持っている。    氷の中から抜け出た直斗は、その場にへたり込むレイラを前にした。  直斗は、降りしきる雨の中、自身の両手をレイラへ見せながら言う。  「相当血を使ったよ。レイラは強いね」  直斗の手の平は、大量の血で濡れていた。  今、レイラに告げたことは事実だった。レイラは、アレーナ・ディ・ヴェローナで戦った異世界人達よりも、遥かに高い戦闘能力を持っていた。  以前、レイラは語っていた。アレーナ・ディ・ヴェローナでの異世界側の参加者は、一般人からの立候補による抽選であったため、強さでは選ばれていないと。  こうやって、レイラの戦闘能力を目の当たりにすると、アレーナ・ディ・ヴェローナでの参加者が頂点ではないことがはっきりと理解できた。つまり、リウド国には、まだまだ強い異世界人が溢れていることを証明していることに他ならない。これは直斗にとって、危険な真実だった。  なおさら、直斗が『ロビン・フッド』だと発覚させるわけにはいかない。  ここで、レイラを確実に殺す。  直斗は、止めの一撃を加えるために、血が付いた手の平を、座り込んでいるレイラへ近づけた。  アレーナ・ディ・ヴェローナでも人型の異世界人を殺したが、今回は人間そっくりの異世界人だ。極めて拒否感があるが、避けることはできない。  直斗の手の平が、レイラに触れようとした時だった。  火薬が炸裂したかのような、耳をつんざく音と共に、目が眩むほどの青白い発光が、直斗の目の前に発生した。  雷だった。大きな雷が、レイラに落ちたのだ。  レイラに直撃したその雷は、青白い根のような帯を生じさせ、レイラに纏わり付く。  レイラは、激しく痙攣を繰り返し、やがて雷の帯電が終わると同時に、動かなくなった。  直斗の目からは、事切れたように見えた。  「あなたが手を汚す必要はないですよ。篠崎直人さん」  背後から透き通った声が聞こえた。聞き覚えがある声だった。  直斗が振り返ると背後に、銀髪の小柄な少年がいた。  ルカだ。扶桑高校の制服を着ている。  唐突なルカの登場に、警戒をしながら質問をする。  「何をした?」  「僕の電撃を与えただけです」  ルカは、雨に濡れた銀髪を撫でつつ、そう答えた。  「魔法か?」  「ええ。僕は雷の魔法を使えるんです」  ルカは、にやりと笑い、隠さず己の能力を明かした。  ルカはさらりと答えたが、相当強力な能力だと直斗は思う。今も周囲の地面は、青白い光が帯電している。  「いつから見ていたんだ?」  「戦闘が始まるより、少し前辺りからですね。そこからずっと様子を伺っていました」  途中から感じていた視線は、こいつのものだったのかと、直斗は納得した。しかし、何のつもりなのか。敵対するつもりはないようだが。  「なぜレイラを攻撃したんだ?」  「同じ異世界人である僕が、尻拭いをするべきだと思ったまでです。気にする必要はありませんよ」  ルカはそう言うと、辺りを見渡した。  「すぐに人が集まってきます。移動しましょう」  ルカはぐったりと倒れているレイラに近づき、担ぎ上げた。いつの間にか、レイラが持っていたショルダーバッグを肩に掛けている。  「こっちです」  ルカは言い終わるなり、大きく跳躍し、きみさらずタワーとは逆の方角にある、林の中へと消えた。  直斗も後を追い、一足飛びで林へと入った。    ひとまず身を隠せる所へ避難した二人は、向き合っていた。二人の間には、折れた手足に氷が付着しているレイラが、横たわっている。  「レイラは生きているのか?」  直斗の質問に、ルカは首肯する。遊歩道から僅かに届く街灯の明かりを受けて、ルカの青色の瞳が薄く輝く。  「はい。辛うじてですが」  「どうするつもりだ?」  「僕の方で『処分』します」  「処分?」  ルカは直斗の質問に答えず、レイラが持っていたショルダーバッグをこちらへ差し出した。  「レイラさんが、持っていた物です。つまり『ロビン・フッド』の衣装類です。あなたが持っていた方がいいでしょう」  直斗は、反射的にショルダーバッグを受け取った。中を確認すると、レイラがダミーとして用意した『ロビン・フッド』変装道具一式が入っている。そして、黒い水晶玉と、例の過去を撮影出来ると言う、目玉の集合体生物も入っていた。  これこそが直斗にとってのアキレス腱だった。今のうちに消し去った方がいい。  直斗は黒い水晶と、目玉の二つを取り出し、手の平に滲んでいる血を使い、燃焼させた。髪の毛を焼いたような嫌な臭いが鼻をつき、やがて炭へと変貌を遂げた。残るは変装道具一式だが、こちらは少し考え、持って帰ることにする。  直斗は、手の平に付いた燃えカスの炭を払い落としながら、暗澹たる気分へと陥っていた。  こうして証拠は消滅させたが、また同じ方法で直斗の正体を見破る者が現れるかもしれない。このルカにしても、どうやって直斗のことを嗅ぎつけたのか。  直斗の表情から、全てを読み取ったルカが口を開く。  「今、あたたが消滅させた過去を映せる魔法生物は、モナ・クルスという名前で呼ばれています。安心してください。おそらく、今回のような特別なパターンではない限り、あなたの正体が判明される心配はないはずです」  「どういうことだ?」  「モナ・ルクスは、吸血鬼しか扱えない生物なのです。それに、どこでどう手に入れたのか、とてもレアな存在です。まず入手自体不可能です。僕も初めて目にしました」  「しかし、現にこうやって揃える奴がいただろ。しかも若い女が」  「詳細は不明ですが、本当に特別なルートを持っていたはずです。通常では考えられないほどの。それに、そうやってモナ・ルクスを手に入れた吸血鬼が居たとしても、探知するには対象の体の一部が必要なので、予めあなたに目をつけない限りは、辿り着けないはず」  「……」  「あと、レイラさんも言っていたように、一年程度が遡る限界となります。『ロビン・フッド』の衣装を揃えている映像は、もうじき撮影できなくなるはずです」  「だが、この大田山公園を同じように探られたらどうなる?」  「そのリスクはありますが、さっきも言ったように、そこに至るまでに、あなたが『ロビン・フッド』だと疑われないことには、行われませんよ」  もっともな意見だが、それが頻繁に起きているような気がする。杞憂で済ませていいものだろうか。  直斗は、ルカを顎でしゃくった。  「お前も、俺に目をつけていただろ。俺が『ロビン・フッド』だと疑われるパターンが立て続けに起きているぞ」  直斗の意見にルカは、少し言い難そうに、自分の頬を掻きながら答えた。  「僕は例外なんです」  「例外?」  「ええ。あなたが『ロビン・フッド』だということは、レイラさんより先に気付いていました」  「どういうことだ?」  直斗は驚いた。ルカとは接触がほとんどなかったはずだ。  ルカの答えは単純だった。  「僕は、アレーナ・ディ・ヴェローナで観客として、あそこにいたんです。戦闘中、一度だけ『ロビン・フッド』の血の匂いを嗅いだんです。僕達吸血鬼は、一度血の匂いを嗅ぐと、体臭からでも本人かどうかわかります。そして、偶然にも、留学した先にあなたがいて、記憶にある『ロビン・フッド』の血の匂いと一致したので、確信したのです」  そういえば、アレーナ・ディ・ヴェローナで、一度だけ手袋を外し、傷口を直接外に晒したことがあった。ルカが言っているのはその時のことだろう。しかし、観客席とは相当離れていたはずだ。  まるで猟犬のような鼻の良さに、直斗は驚愕する。  「とにかく、今のところはそれほど心配しなくて大丈夫です。こうやって我々に発覚したのは、偶然が重なっただけですから」  ルカの助言を聞いたが、まだ直斗の不安は拭えなかった。ルカの狙いがわからない。協力体勢を見せてはいるが、また新たに直斗の正体を知る存在が増えたことに他ならない。  「お前を信用していいのか?」  「はい」  ルカは即答した。真剣な表情だ。  「どうやって証明する? 言葉だけではいくらでも言えるぞ」  「その通りですね。それなら、こういうのはどうでしょう? この件で、あなたに疑いが掛からないよう事後処理を僕が行います。少なくとも、決定的な証拠は出さないようにします」  「そんなことができるのか?」  「任せてください」  ルカは自信満々にそう言った。  その時、パトカーのサイレンの音が、遠くから聞こえてきた。人が集まってきたのだ。  「そろそろ退散しましょう。離れたとはいえ、ここにいたら危ない」  ルカはレイラを担いだ。  「とにかく、レイラさんは僕に任せてください。ではまた明日」  ルカはそう言い終わると、その場から姿を消した。  質問がまだあったが、止める暇もなかった。  直斗は、ショルダーバッグを肩に掛け、その場を離れた。パトカーや消防車のサイレンが近づいてくる中、誰の目にもつかないように、細心の注意を払いながら下山する。  そして、来た時とは違う南側の出入り口から住宅街へと出ると、周囲を警戒しつつ。直斗は、戦闘の地となった大田山公園を後にした。    翌朝のテレビニュースで、大田山公園の異変について報道されていた。ローカルではなく、全国区としての報道だった。  内容は、原因不明の大破壊。レイラの氷によるものだったが、氷は直斗が全て消滅させてしまったので、残ったのは、崩壊した『旧安西家住宅』や、倒れた木々、抉れた地面であった。まるで爆撃でもされたような有様から、テロリストの仕業とも噂されていた。  直斗は、朝食を取りながら、そのテレビニュースを観ていた。春香は見知った場所がテレビで流れたことに興奮しており、今日が休日なのも手伝って、やたらと見物しに行きたがった。しかし、蛍子の禁止令が発動し、春香の野次馬の希望はあっさりと潰えていた。  朝食を終えた直斗は、自室へ戻り、ベッドへ腰掛けた。そして、少し考える。  ルカはあの後、レイラをどこへ運んで行ったのだろう。『処理』という物々しい表現をしていたが、何をするのか。レイラはまだ生きていた。ジェフリー・ダーマーのように、昏睡状態のまま、人体を解体でもしたのだろうか。  それに、ルカの言葉も気になっていた。ルカは自身が直斗の味方だとアピールしていたが、いまいち信用できない。もしかすると、レイラのように、突如牙を剥くかもしれない。彼も吸血鬼なのだ。  直斗は、ベッドから立ち上がり、クローゼットを開いた。そして服を着替える。  着替えの最中、クローゼットの奥へと意識を向けた。この位置からは、服や衣装ケースに隠れていて見えないが、そこに昨日、ルカから受け取った、レイラのショルダーバッグが置いてあった。  中身は例の変装道具一式だ。記憶装置などの致命的な物品は昨夜消滅させたが、これはまだ残っていた。  ダミーとはいえ、『ロビン・フッド』の証拠になり得る代物だ。当然、同じようにすぐにでも廃棄か消滅させるべきである。しかし、なぜか躊躇いがあった。すぐに消滅させてはまずいような、嫌な予感がするのだ。そのため、今は保留することにした。様子を見て、処分しようと思う。  着替えを済ませ、直斗は部屋を出る。居間でワイドショーを見ていた蛍子に、裕也の家へ遊び行くという、嘘の目的を告げ、家を後にした。  久しぶりに晴れた明るい朝日の中、直斗は昨夜と同じルートを通って、大田山公園を目指す。  大田山公園へ近づくにつれ、テレビ局らしきワゴン車や、中継車が目に付くようになった。  そして、大田山を目前とした国道十六号線を越えた辺りから、にわかに騒然とした雰囲気に包まれ始めた。至る所にパトカーや消防車の車両が停車しており、警察官が忙しそうに駆け回っている。上空は、警察やテレビ局であろう、ヘリコプターが、鳶のように旋回をしていた。  大田山の正面入り口が見える所まで近づいたが、規制線が張られており、今までのように立ち入ることは不可能となっていた。直斗と同じような野次馬も、遠巻きに大田山公園を見上げている。  直斗は、他の入り口を当たっみるものの、正面入り口と同様に、規制線が張られており、侵入はできそうになかった。  大田山の周囲を一周回る形となった直斗は、再び正面入り口まで戻ってきていた。  これからどうしようかと考える。大田山公園に入れない以上、ここにいてもあまり意味はない。そもそも、無理に入る必要もない。  家に帰るか、そのまま遊びに行こうか思い始めた時、肩を叩かれた。  振り向くと、黒のワークキャップを被った小柄な人物がいた。  ルカだった。少女のような、綺麗に整った顔が直斗を見上げている。キャップを被っているのは、白銀の髪を隠すためだろう。  「少しお話しましょう」  ルカはそう告げた。    その後二人は、近くの喫茶店へと赴いた。  開口一番、直斗は、レイラの処遇について質問を行った。しかし、ルカからの答えは曖昧なものだった。  「彼女は夢の世界へ旅立ちました」  それがどういう意味なのか訊いても、要領を得ない回答だったので、直斗はこれ以上の質問を諦めた。  その後、直斗は、いくつか気になっていたことをルカに問い質した。  まず魔法のことだが、ルカの魔法は、レイラを昏倒させた時に見た通り、電気を操るものだった。レイラもそうだったが、相当強力な部類に入るようだ。これも甚大な魔力を宿しやすいという、吸血鬼の特性らしい。  次に、昨夜の件により、自身に降りかかる問題について質問をした。  かなりの大事になり、直斗は不安に包まれていた。また、直斗自身に魔の手が迫る恐れがある。  その不安を吐露した。  ルカは、それについて、心配することはない、と断言した。  ルカ曰く、直斗が『ロビン・フッド』だと発覚する証拠になるものは、全てルカ自身が消し去ったというのだ。それのみならず、これから直斗に降りかかりそうな火の粉は、全て払うと約束してくれた。  直斗は、なぜそこまで自身のために行動してくれるのかと、訝しみながら質問をした。  すると、ルカは少し恥ずかしそうな表情になった。  「あなたの血が僕も欲しいからです」  ルカは、そう言うと、優しく微笑んだ。  整った薄い唇から、長い八重歯がチラリと見える。  直斗は自分の心が、再び沈み込むのを実感した。    リウド国から北西へ五十キロほど進んだ所に、コルト平原と呼ばれる場所がある。  騎士団領トラセンドとの国境が近く、小競り合いがよく行われる血の大地だ。  現在、そこにはリウド国から派遣された傭兵団が展開していた。赤色の下地に、黒の狼をあしらった旗が、傭兵達の頭上ではためいている。  展開している傭兵達の先頭には、猪に似た、巨大な獣に乗った大柄な人物がいた。漆黒の甲冑を身に付け、正面を見据えている。  その男の目の前は、赤色に染まっていた。見渡す限り一面血の海だった。その血の海には、それまで傭兵団と戦っていたであろう、甲冑を着た兵士の死体がいくつも転がっている。そのほとんどが、原型を留めていなかった。  特徴的なのは、単純に破壊された死体ではなく、溶けたように崩れている点だった。大地を染めている血の海も、所々が沸騰し、泡と共に大量の湯気が立ち昇っている。それはまるで、今まで肉体に宿っていた魂が、天へと抜け出ているかのようなイメージを見る者に与えた。  先頭にいた人物が、漆黒のヘルムを脱ぐ。その下から現れたのは、獅子を思わせる厳つい風貌の男だった。燃え盛るような、赤いたてがみが目を引く。  「騎士団の連中も大したことねえな」  獅子のような顔をした男は、隣に控えていた傭兵へ声をかけた。隣にいる傭兵は、白色の甲冑を身に付けていた。特別な色の甲冑を身に付けている傭兵は、その二人だけで、他の傭兵は、全て銀色の甲冑に統一されている。  「あなたが強すぎるんですよ。《レッド・レウ》テュポエウス様」  テュポエウスと呼ばれた男は、大きく両腕を広げ、天を仰いだ。  「この世界は雑魚ばかりか! 俺の腕がなまってしまう!」  テュポエウスの声は、血の海に響き渡った。その声は、獅子の咆哮のように力強く、野生の凶暴さを垣間見せた。  「テュポエウス様、伝令です」  後方の隊列を縫うようにして、部下の傭兵が駆け寄ってきた。その部下は、手に書簡を持っている。  テュポエウスは、それをひったくるようにして受け取ると、目を通す。  肉食獣特有の尖った眼が、しばらく活字を追っていたが、やがて顔を上げた。テュポエウスの顔は、嘲笑に歪んでいた。  「あのカキュスロウの売女、行方不明なのか」  テュポエウスの言葉に、白甲冑の傭兵が反応する。  「カキュスロウというと、レイラ・ソル・アイルパーチのことでしょうか?」  「ああ。なんでも、向こうの世界に留学してから、行方知らずになったとよ」  「どうしてまた」  「さあな。しかし、ちょっと前にその売女から連絡が来てな」  テュポエウスは、続けた。  「例の『ロビン・フッド』を見つけたんだとよ」  「それはまた、奇妙な」  「まあ、その時は、思わず笑っちまったが、あいつが行方知らずになったとなると……」  テュポエウスは、しばらく考え込んでいたが、思いついたように、口を開いた。  「向こうの世界へ行くぞ。《戦獣》も連れて行く」  白甲冑の傭兵は、驚きの声を上げた。  「ダーカまで!? 本気のなのですか?」  白甲冑が言い終わるや否や、テュポエウスは、食い殺すような凶悪な眼光を白甲冑に向けた。白甲冑は、電撃を受けたように竦み、頭を垂れた。  「はっ。仰せのままに」  白甲冑は。背後の部下に伝令を行った。それはすぐさま、別の所へ伝播して行く。  「『ロビン・フッド』か。アレーナ・ディ・ヴェローナで、雑魚共を殺して、向こうの世界で持て囃されているみたいだが」  テュポエウスは、小さく笑った。まるで、浅めのダンジョンで、運良く見逃されていた財宝を発見した時のような、僥倖を得た笑みだった。  「確か二十五億ルーグか。賞金は」  テュポエウスは、一人で呟くと、自身が乗っている巨大猪から降りた。そして、おもむろに、拳を振り上げ、それを大地へ叩きつけた。  地面が大きく陥没し、周囲に細かな振動が発生する。すると、驚くべきことが起こった。  テュポエウスの眼前に広がっている血の海が、大地と共に溶け出した。マグマのように赤色化した土が、兵士の死体と血を飲み込んでいるのだ。  血の海に沈んでいる、兵士達の内臓や肉片が、煮えたぎり、地獄の大釜のように、湯気と臭気を放った。その耐え難い臭気に、白甲冑の傭兵は、ヘルムの口元を手で覆った。だが、テュポエウスは違った。  爽やかな草原に降りた立ったかのように、澄み切った表情で、鼻腔を膨らませながら、深く臭気を吸い込んだ。  そして、感極まったように、息を吐き出した。  「さあ、殺しの時間だ。楽しもうぜ」  テュポエウスは宣言した。  コルト平原の西にそびえるタイラン山から、夕日が差し、マグマと血で煮えたぎっている大地を照らした。赤い大地が、さらに赤くなり、極めて禍々しい光景へと変貌した。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加