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第14話『第1回まぐろ祭り。その2』
やはり、まぐろ祭りの事を書き出すと1話で終わらすつもりが、終わらない。よって続きを書きます。
まぐろ汁は、今は前もって作ったまぐろのつみれを冷凍させたものを使っているが最初のころはまぐろ祭りの前日から上田調理長が2500人分のつみれをミンチ状で夜通し作りそのミンチを10個くらいの樽につめて中之島からまぐろ祭りの始まる早朝に対岸の魚市場に連絡船で運ばれスタッフが道具で一個一個団子にしまぐろ鍋に入れていた。今のまぐろ汁もうまいが、このときのまぐろ汁は格別にうまかった。また、一頭造りも「一刀造り」と書いたりするが生まぐろ1本をまるまる捌くことから「一頭造り」と言う書き方にこだわっている。そして、まぐろ祭りのテーマソング「紀州まぐろ節」も誕生した。生まぐろ販売も、藤紀和会の踊りも、色川茶サービス等も1回目から続いている。
実は、このまぐろ祭りはたくさんの皆さんに支えられて今のまぐろ祭りまで発展したのだが、この第1回のまぐろ祭りの企画書を作ったのは僕と観光産業課の中地さんと日本工宣の斉藤さんの3人である。(自慢ではないがまぐろ祭りの企画を作ったのは僕ら3人だと声を大にして言いたい。)だから僕に取っては子供みたいなものであるし、まぐろ祭りとともに歩んできたといっても過言ではない。話もどして、第1回目のまぐろ祭りだが、これも実はの話だが、「あげいん熊野詣」と同じ日に行ったのである。午前中に魚市場で「第1回まぐろ祭り」午後は那智山で「あげいん熊野詣」という今思うと「ようやったなぁ」と思う。なんと、まぐろ祭り祭りでは熊野那智大社の祈願祭と那智山青岸渡寺の高木副住職をはじめとした山伏の皆さんによる大護摩祈祷を魚市場の会場で行ったのである。大護摩祈祷の煙が会場内の火災報知を鳴らし大変だったのも思い出である。
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