第五章 さらば、坂本荘、さらば中野1

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第五章 さらば、坂本荘、さらば中野1

えださん達にお世話になっていたALCの仕事も、僕は28歳になった11月いっぱいでやめることとなり、その間の休みの時に僕は近くのスーパーに面接を受けに行った。これは、前回書いた通り、えださんたちも承認のうえだった。運よく面接が通り翌年の1月初めより働くこととなった。一応鮮魚部で希望を出したが、このスーパーは都内に10店舗くらいある大きなスーパーで、野菜、肉、製菓、鮮魚の部門を各店回りながら約2週間ずつ研修することとなった。あとうれしかったのは、坂本荘より歩いて5 分の所に独身寮(ワンルーム)があり、希望者は格安で入ることができた。僕も希望し年末の忙しい時だったが、えださんたちが軽トラで一人暮らしの荷物を坂本荘からその寮まで運んでくれて、12月半ばからその寮に住むこととなった。僕は坂本荘を離れるとき、大家さんに丁重にお礼を言って離れた。寮は道を挟み2棟あり、僕は第1寮の1階の真ん中の部屋になった。1棟には1階に5部屋、2階にも5部屋があり、約6畳の細長いワンルームで、ユニットバス(シャワー)と下に物が置けるベットと小さな冷蔵庫と電気コンロ、洗濯機と乾燥機まで付いていた。部屋代はすべての光熱費等含んで1か月1万で給料から引かれることになっていた。坂本荘は狭かったけど僕にとっては初めての自分の城で約10年住んだ。大家さんはいつまで住んでもいいよっていつも言ってくれたが、やはり周りの住民が2年ぐらいで卒業し入れ替わるのを見ていて、あまり長く住むのもどうかと思っていた時だった。先ほども書いたが、僕は、必要な荷物だけ寮に運び後は、粗大ごみに出したり、赤堀君たちが必要な物は、あげたりした。翌年の研修が終わり僕は、参宮橋店の鮮魚部に配属となった。そこは、僕と同じ年で偶然だが僕の部屋の隣に住んでいた野田さんという男性のチーフとバイトの矢部さんというおばちゃんとそして僕とで鮮魚部を廻すこととなった。
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