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絵を描くことに没頭している時だけは、私は全てを忘れていられた。
だから、人前で自分の描く姿を見せないようにしている。
トゥーリには『気が散るから』という言い訳をしていたが、本当はそうじゃない。
描くことに没頭するあまり、話しかけられたことに気が回らなくなるからだ。
昔、よくこれで失敗した。聞いてもいないのに生返事を返しては相手を誤解させてしまったり、逆に、要らないことまで言い過ぎてしまったり。
それが原因で話がこじれ厄介事となってしまうたびに、ハルトには苦笑され、アレクには『少しくらい危機感を持て』と呆れられながら、幾度となく二人に収めて貰ってきた。
そこで、誰にも話しかけられることの無いよう、人前で絵を描くことを避けるようになったのだ。
隠れて一人で絵を描いていたところを見つけられ、図らずも逃げ場まで失ったうえで二人きりになってしまって、よほど私は動揺していたらしい。
彼の顔をまともに見られなくて、ただ描くことに没頭しようとした。
昨晩のことを言及されるのが怖くて、彼をモデルにさせてまで話をすること自体を避けようとした。
――しかし本音を言えば、ずっと描きたいという想いがあったのだ。その均整のとれた美しい身体を。
いつか描いてみたいと思い続けてきながら、それを言い出せずにいた。
その望みをせめて叶えたいと、動揺している心が咄嗟に求めてしまったのだろうか。
嬉しくて、浮かれて、厄介事を招き易い自分の癖などすっかり忘れて、すぐに描くことだけに没頭してしまって。
案の定、話しかけられるまま、つい本音で喋りすぎてしまった。
『その身体に、ずっと触れてみたいとも思っていた―――』
そこまで言葉に出してしまってから、ハッと気付いて誤魔化そうとしたが、もはや無駄だった。
それでも往生際悪く何だかんだと逃げ続けてはみたけれど。
結局、彼の腕に捕らわれた。
彼の目の前で、何も取り繕うことも出来ないままの、情けない自分の全てをさらけ出してしまった。
なのに、あまりにも性急に私を求めてきた彼の熱さに、ずっと考えていたあれやこれやが全て誤解だったのかとわかって安堵した。
それは紛れもなく、私が初めて知る歓びだった。
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