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王墓
アルタイル王国 国境警備隊長のフィオナ・ガーウェンは、駐屯地の砦を離れて馬上にあった。
行軍用の旅装に包まれた長身は日々の鍛錬によりしなやかに引き締まり、頭部を包むフードの下で細められた灰色の瞳は、前方の行軍経路に油断なく向けられている。
茫洋と広がる夏空に陽は既に低く、なだらかに波打つ丘陵の彼方で黄昏に沈もうとしていた。所在なげに紅色に漂う浮雲にちらりと視線を向けた彼女に、馬頭を並べる者があった。
参謀のダレル・ローガンだ。
「間も無く王墓ですな、姫様」
「行軍中にその呼び方はよせ、ダレル。いまは一軍属に過ぎぬ」
「……失礼を致しました」
「王墓に到着次第、近辺にて野営準備。墓参は明朝とする」
「畏まりました」
まだ何か物言いたげな表情のダレルの髭面を、あえて黙殺する。国境警備隊 参謀のダレル・ローガンは、フィオナ・ガーウェンの幼少時よりの教育係であった。ガーウェン王家の忠臣として常に側にあり、王国の歴史を共に築いてきた国内有数の貴族、ローガン家の出身。
それとなく後方に視線を走らせると、齢五十を越えていまだに熊の様に屈強な体格の男が、気勢を削がれたのか馬上で小さく見えた。第二位の王位継承権を有しながらも、国民からの多大な支持と秀でた軍才を疎んだ実兄に遠ざけられ、危険な国境警備の任に甘んじているフィオナの身を思ってのことだろう。
彼の忠心に口の端を緩めつつも、王宮で舌鋒巧みな文官共を相手にするよりはこちらの方が遙かに性に合っていると、心中では安堵している自分があった。
「長時間の行軍で皆、疲れているだろう。今宵は酒樽を開こう。建国王は酒豪であったと聞く。彼の人も喜んでくださる」
馬上のフィオナが凛とした声を張り上げると、周囲から大きな歓声が上がった。そこには参謀であるダレルも含まれている。彼はこの地方で採れる大麦麦芽を主原料とした、淡琥珀色の蒸留酒に目が無い。今宵酒盛りの報はあっという間に伝播し、部隊の其処彼処から喜びに湧く隊員達の声が届いた。
その中には軍人としての立身よりもフィオナへの忠心からこの国境警備隊に志願した兵達の顔も見られた。彼らの笑顔に釣られて微笑を浮かべつつも、フィオナはどこか覚めた頭で黙考に耽る。
アルタイル王国は、大陸の西の果てにあって北辺および西辺を絶海に面し、残る二方を敵国に囲まれた狭小国。誰かが国境警備の危険な任に当たらねばならず、人材にも常に事欠いている状態。
幸いにも、要衝の砦を巡る日々は実地で国土を知り、民の生活に間近で触れる機会も与えてくれた。着任から一年を待たずしてフィオナ率いる部隊は少数ながらも士気高く、既に国境警備の重要な一端を担っている。
だが、昨今、南方の帝国がにわかに勢力を増しつつあった。三年前に就任した新皇帝は辣腕を振るって急速に軍備を整え、周辺国家との国境に揺さぶりを掛けている。いまのところ、アルタイル王国に対する大きな動きは見せていないが、それも時間の問題だと王宮ではまことしやかに囁かれているという……
そんな中、彼女の部隊は王都帰還の途にあった。目前に控えた建国式典に先立ち、道中で建国王の霊廟に立ち寄って祈りを捧げることになっている。
霊廟を訪なうのは王族にとって毎年恒例の行事であり、家族とともに王宮を離れて旅が出来るこの旅程は幼少期からフィオナにとって大きな楽しみの一つだった。が、兄は公務による多忙を理由に、人里離れたこの地を訪なうのを近年避けていた。その事実もフィオナの心に一抹の寂しさを過ぎらせる。
行軍する隊の前方に、周囲よりやや小高い丘が姿を見せ始める。質実剛健を旨とした建国王の意志を受けて、王墓もやはり質素な作りである。無骨な石碑が風になぶられるまま立ち並ぶ地下にはがらんとした五角形の空間が穿たれていて、中央に建国王が眠る石棺が安置されている。
ただそれだけの空間だが、フィオナにとっては父母、そして兄との思い出の地だった。その場所に、フィオナの部隊は到着しつつある。
参謀のダレルが再び馬を寄せてきた。野営準備の役割分担について細々と話す彼に耳を傾けていると、辺り一帯に奇妙な鳴き声がこだました。フィオナが視線を上げるのと、この地方に住まう巨大な猛禽「アギラ」の鳥影が部隊の上空を飛び去っていくのは同時だった。
アギラはアルタイル王国の国鳥であり、国旗の意匠にも紋章としてその姿を刻む獰猛な猛禽。この地方の生態系の頂点を成す大型捕食生物であり、その勇壮な姿にはフィオナ、ダレルともに少なからぬ愛着を抱いている。
「おぉ、あれほどの大きさの個体は珍しいですな。しかし、えらく慌てた様子でしたが……」
アギラが飛来してきた方角には、まさに王墓がある。
フィオナとダレル、両者が自然とそちらを振り向いた刹那。二人の視線の先の丘陵から重たい衝撃がズシリと伝わってくるに続き、次いで大量の土砂が空高く、間欠泉の如く噴き上げた。遮蔽物のない地表を舐める様に迫ってきた土砂が、国境警備隊員達を砂塵となって呑み込む。
「姫様、これは一体……」
徐々に薄れる砂塵のベール。ダレルと親衛隊の数名を後に従え、部隊に先行して愛馬を疾駆させるフィオナの姿があった。
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