間章 岬にて

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間章 岬にて

 潮風に誘われて目蓋を開く。  見渡す限りの海を望む岬、その突端に俺は立っていた。ついさっきまで斬り結んでいた相手、ガーウェンの気配もすぐ側に感じる。  どういった絡繰(からく)りなのかは知る由もないが、魂魄(アルマ)を取り込む瞬間、その相手の記憶を垣間見たり、相手自身と言葉を交わすことがある。そんな経験が過去にもあった。そんな気がする。  宵闇の静かな波音に乗せて、男の声が低く響く。 「久しいな、ギケイ」  自身の名を呼ばれているはずなのに、その乾いた響きがもたらすのは風化した記憶の残滓だけだった。いつの間にか夜空に溶けつつある水平線に視線を向けながら、微かに首肯する。 「お前が生涯掛けて求めた風景がこれか、ガーウェン」 「そうだ。素晴らしい眺めだろう」  両腕を広げた巨躯が、海原を誇らしげに示す。いかにも暑苦しい。 「わからん。海は所詮、海だ」 「島国生まれのお主には、このロマンがわからぬのだ」  崖下から吹き上げる海風に、数羽の(かもめ)が遊んでいる。両翼を振るわせながら滞空している一羽に向かって、届くはずもない腕を伸ばす。 「とにかく儂はこの海に焦がれて、ついにはこんな辺境の地に自分の国まで築いた」 「それは、かつて仲間と信じた連中に俺が追い回されていた頃の話か」  髭面を歪めて黙り込むガーウェン。心なしか、その巨駆が萎んで見える。 「お主は人理を外れた存在。詫びる気はない。だが……」 「もう良い。終わった話だ」  沈黙が波音を柔らかに際立たせる。  やがて、胸元をごそごそと探っていたガーウェンの大きな手が、おもむろに酒器を一つ取り出した。琥珀色の海を望んで並び立ち、差し出された酒精を煽って胸を焼く。次にガーウェンが、喉を鳴らして杯を空けた。 「皆で肩を並べて大地を切り取った日々から数百年。我が国は平和を貫き、そして、衰えた」 「……」 「お主の国の言葉で『盛者必衰の(ことわり)』であったか。巧く言ったものよ」 「何が言いたい」  張り出した眉骨の陰で、灰色の瞳がにわかに揺らぐ。細く開かれた唇から長く溜息が漏れた。 「手前勝手は重々承知。だが、儂とて我が国と子孫が(いたずら)に沈みゆくのを見るのは忍びない」 「ほぉ。しばらく会わない内に、お前にも人並みの感情が宿ったと見える」 「茶化すな。引き換えに……」 「魂魄(アルマ)を差し出す、か。釣りは払わんぞ」 「拒もうとも、我が魂魄は既にお主と一つ。好きに使うが良い」  話は終わった。だが、岬の突端に背を向けて一歩踏み出した俺に、躊躇いがちな声が低く掛けられる。 「……待て。最後にもう一つ、伝えておかねばならん」 「過去の俺の所業に関する苦情なら、天秤の女神に直接言ってくれ」  横顔だけで振り向いた視界の隅に、酒を一口含んで唇を湿らせるガーウェンが写る。普段は耳に煩いくらいの声量で話すくせに、彼が次の言葉を呟くまで波音四回分の静けさがあった。 「あの女、今でも生きているぞ」 「……何だと」 「もっとも、あの状態を『生きている』と形容するのならば、だがな……」 「馬鹿な。あれから少なくとも数百年の時が流れているはずだ」 「お主自身の眼で確かめるが良かろう」  一文字に引き結んだ唇が、それ以上の問いを拒む。暫時見つめ合っていたが、彼がふと口の端を歪めて表情を緩めたのを切っ掛けに、その躯が微細に輝きを放ちながら粒子へと変じていく。 「ガーウェン、お前、この為に何百年も……」  かつての戦友の面影は、海風に(なぶ)られるままに霧散していった。
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