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38-4.麻衣の帰還
ヴィクトーリアは首をわずかに傾げた。志光は防水シートで覆われた塹壕の天井を見上げてから、大きな溜め息をついてみせる。
「分かった。君の提案を飲む。ただし、何かあった時のために、徹底したサポートを付けさせてもらう。それでいいかな?」
「一番良いのは、地頭方が私たちと一緒に先頭に立つ事よ。この戦いは仕伏が記録することになっているから、絵になる場面が欲しいのよ」
今度は志光が湯崎を横目で見る番だった。ごま塩頭はすぐさまヴィクトーリアに計画のガイドラインを提示する。
「ヴィクトーリア女王が先陣を切るのであれば、魔界日本の迫撃砲部隊に準備射撃をさせます。その後も敵の遠距離からの狙撃に備え、銃火器部隊を後列に
配置します。同道する我が魔界日本の棟梁共々、お二人にはかすり傷一つ負わせません」
「かすり傷一つ負わせないですって? 大きく出たわね。嫌いじゃ無いわ。これで大まかな作戦は決まりね。私は奴隷を呼んで来るから、あなたたちはジャガノートの部品をここに持ってこさせて」
ヴィクトーリアはそう言うと、塹壕の壁に引っかけた雨具を被り直し、クレアと共に屋外へと消えていった。
「坊主。大事になるぞ」
湯崎は意味不明の言葉を呟いてから、改めて邪素無線機で海岸にいる部隊と連絡を取り始める。
「ベイビー。勝負がついたわよ。敵は全滅。すぐに部隊を撤収させないと、邪素工場側にいる生き残りから砲撃される危険があるわ」
湯崎が輸送の手はずを整えている脇で、偵察をしていたソレルが顔を上げた。志光はすかさず彼女に指示を出す。
「全部隊を塹壕から撤収させてくれ」
「了解。すぐに撤退させるわ」
褐色の肌は、敵塹壕を制圧した悪魔たちにテキパキと命令を伝えていった。その間に、湯崎も通信を終える。
「美作と段取りを付けた。今からジャガノートの部品がここに送られてくる。組み立て用の場所を確保しなけりゃならん」
「どうするんですか?」
「洞窟の入り口周辺は、敵が定期的に砲撃してくるだろう。だからといって、雨よけのテントを立てたり、照明をつけたりすれば狙撃される危険がある。暗闇の中で、濡れながら作業するしかないだろうな」
「ですよね……」
「客人に酷い扱いだが、事情を説明して我慢してもらう。俺はヴィクトーリア女王のところに行ったら、司令所に戻って砲撃の順備に入る。ジャガノートが組み上がったら連絡を寄越してくれ」
「了解しました」
志光が返事をすると湯崎の身体全体が青く輝いて、その姿が認識出来なくなった。少年はソレルが部隊とやり取りをしている声に耳を傾ける。
ところが、そうしていると睡魔が志光に襲いかかってきた。
「すまない、ソレル。ちょっと寝る」
少年はそう言うと、褐色の肌の返事を待たずに塹壕の壁により掛かる。
長い一日だ。しかし、この調子だとまだまだ続くようだ。
こちらが池袋ゲートを占領出来ても、ホワイトプライドユニオンの兵士たちを島から駆逐するには数日はかかるだろう、というのが作戦を始める前に湯崎が予想した展開だった。しかし、現実の事態はそれよりも急速に進んでいる。
先頭に立って戦っていた志光にとって、それは想像以上に緊張した時間だった。だから一旦休んでしまうと、緩んでしまった気を元に戻すのは難しい。
背中を丸めた少年は、珍しくイビキをかいた。彼が目を覚ました時には、すぐ側に見附麗奈と門真麻衣がいて、邪素を飲んで休息している最中だった。
「棟梁。大丈夫ですか?」
麗奈は水筒から口を離し、頭を振っている志光を気遣った。少年は少し驚いた面持ちになり、ポニーテールの少女に話しかける。
「あ、ああ。麗奈か。戻ってきたの?」
「はい」
「ごめん。ちょっと寝ていたみたいだ」
「凄いいびきでしたよ。疲れているんじゃないですか?」
「そうだね。でも、もう大丈夫だ」
「まだ寝ていても良いと思いますけど」
「そういうわけにはいかないよ。それで、首尾は?」
「ご命令通り、塹壕にこもっていた敵は一人残らず殺害しました。証拠のビデオもあります」
「お、おう。本当にやったんだ」
「もちろんですよ! 麻衣さんも新垣さんも大喜びで〝悪魔らしいやり方だ〟って言ってましたよ。私もそう思います」
「ま、まあ、そうなんだけど。あれは、ついうっかり勢いで言っちゃったことだから……」
「そこが良いんじゃないですか! ついうっかり〝皆殺しだ!〟なんて言いたくても言えるもんじゃないですよ。そこが棟梁の良いところだと思いますよ」
「そ、そうかな?」
「そうですよ!」
志光の疑問というか懸念を、麗奈は言下に否定したが、彼女の両目はどういうわけか興奮で血走っていた。少年はポニーテールの少女から視線を外し、麻衣と見つめ合うが、こちらの両眼も瞳孔が開ききっている。
「志光君。次の邪素工場への突撃も、捕虜はとらないよな?」
「え? ええ?」
「こっちはさっきの塹壕戦で更に二人死んだ。あいつらの弔い合戦もしたいし、何より魔界日本を舐めるとどうなるかを、世界中の悪魔に教えてやらないと!」
「麻衣さんの言っているとおりですよ!」
二人の主戦派ににじり寄られた志光は、助けを求めてソレルを見るが、彼女は顔をそむけて意思表示をする。
「解った。邪素工場への攻撃も、基本的に捕虜を取らない方向で行こう」
少年が同意をすると、親衛隊の隊長と副隊長は満足そうに微笑んだが、やはり目は笑っていない。
「それより、志光君が戦況を見たがっていたと聞いているんだが……ビデオは見たいよね?」
「もちろんです」
志光が頷くと、麗奈はネズミを捕ってきた猫のように、暗所でも撮影可能な
ビデオカメラの液晶画面を少年に向けた。
「どうぞ」
彼女が再生ボタンを押すと、薄暗い塹壕の中で、雄叫びを上げながら麻衣と新垣が敵に襲いかかる様子が小さな液晶画面に再生される。
「可哀想に」
武器を構える時間すら与えられず、突っ込んできた二人の武神に敵の悪魔たちが撲殺される様子を見ながら、志光は思わず本音を口にした。相手の白人至上主義者は、悪魔になってもまだ肌の色に固執するような愚かな連中だが、それでも鍛えに鍛えた魔界屈指の白兵戦スペシャリストに、こんな何にもない場所で殴り殺されるとは思っていなかったに違いない。
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