序章 魂は語る

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 死後の世界には音もあり、色や光があるのかもしれないが、目や耳などの感覚器官を失った私にはそれを感じることができない。私にとってそこは漆黒の闇であり、一切の雑音もない世界であった。しかし注意深く意識を集中すると、そこかしこに人々の記憶がとどめられていることに気付く。そして何よりも驚かされるのは、それを感じる自分の意識が、未だ存在していることであった。  あるいは生涯を通じて仁や義などの精神を学問として追及し続けた功徳か。それとも深く抱いた後悔が怨念と化して現世に留まらせているのか。いずれにしても私の意識は依然として存在し、宙を漂っている。私は自分の存在をうまく説明することができないが、あえて通俗的な「魂」という言葉で自分自身を表現することに決めた。  死後の世界には人々の意識が雑然と、順不同に散りばめられている。私はそれをひとつひとつ検証し、誰の、どの時点での記憶かを繋ぎ合わせていくことにしたが、それには思いのほか時間がかかった。私自身が生きた時代、つまり漢が成立した時代に生きた人々の意識を系統立てて、思いの強い淮陰侯韓信という人物を中心に説明できる状態にするまでに、実に二千二百年もの時間を要したのである。  しかし、時間をかけただけのことはあるに違いない。今の私には、彼に着せられた叛逆者の汚名を除くことができるのである。
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