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「どうしてこんなところにいるの?」
岡本は首を傾けて聞いてきた、
僕は教師からプリントを届けるように言われたんだと伝える。どうやら、ここは岡本の家らしいと僕は察し、彼の言葉を待っていると
岡本は無表情のまま、くるりと向き返るとそのまま家へと戻ろうとした。
「え?…ちょ……」
僕は彼の急な行動に言葉も出なくなった。いや、確かにここに来たのは僕の勝手だがもう少し何かあってもいいだろう、冷たい人間だ。なんて思っていると、岡本はくるんとした目をこちらへ向け
「お茶、いる?」
と聞いてきた。太陽先輩に、ヤキを入れられた僕の身体はカラッカラで水分を思った以上に求めていたので社交辞令の段階をふっとばして僕は、彼の後をついていった。
「座ってて」
彼はそれだけ言うと、テラスと縁側が混ざったような庭から家の中に入っていった。
僕は流石に中に入るのは憚れたので、縁側に腰掛けてみる。
この山があることは知っていたが、まさかこの山の中にこんなログハウスみたいなお洒落な家が立っているとは思わなかった。しかも道中は身体をいれる隙間もないほど茎や蔦などの緑がうじゃっと生え賑わっていたが、
この家の周囲には先ほどの道路とうってかわって綺麗で、あのうじゃうじゃした山の外見からは想像できないくらいに草原が広がり、崎からは僕の住む町の眺めがみえた。ちらりと後ろを振り向くと、中もおしゃれだった。いやおしゃれと表現も少し違う。フローリングに木のテーブルまでは特変のないただの部屋ではあるがその壁には至る所にポスターだったり飾りだったり、明らかに若者の部屋といった風景で、岡本のイメージとは違うパンク的な部屋だった。
なんだかいけないことをしているような気がして僕はそのまま前を向いた。
岡本はなぜこんな山の中に住んでいるのだろう。僕は彼のことを何にもしらない。
「お茶、、良かったら飲んで」
「あ、、」
ありがとうと言う前に、岡本は隣にすとんと座った。高い声に小学生のように小さい身体そして何か花のような匂いがサラリと鼻に香り少しどきっとした。
お盆にはグラスに麦茶が入っていて、暑い暑い今日にはぴったりの飲み物だった。僕は断りもいれずそのまま喉に流し込んだ。
身体が生き返った気がする。
「うまい!」
「それはよかった」
岡本は抑揚のない声で言うと僕をじっとみつめた。何の感情もない目でじっと僕を見つめる。小さな顔に白い肌、一瞬どきっとしてしまう。まるで少女のような顔立ちだ、しかしその無表情の顔には何も見えない戸惑いしか見えない。少し居心地の悪さを感じながらもその視線に悪い気持ちはなくしばらく、沈黙が続いた。
「どうして」
「どうして、ここに来たの?」
岡本は言った。どうしてと言われても困る。先生からプリントを渡せと言われたからとしか理由はあるまい。いや、まぁそれは建前ではある。
「別に断っても良かったんじゃない?特に僕ら親しいわけじゃないし」
僕が言うと案の定岡本はそうやって言い返してくるから僕はそれ以上は何も言えない。じゃあ一体僕はどうしてここまで来たのだろうかこんな山の中を。
いや理由はある、具体的な理由ではなく漠然としたものではあるが。だがこんなことを言っていいのかためらいがある。
「これ」
「え?」
僕が思考に耽っていると岡本が小さな手で箱を渡してきた。何かとよくみてみると絆創膏だ。1瞬「ん?」と思ったがよくよく意識すると腕や足がじんわりと痛く所々切り傷ができていた。
「あれ?なんで?」
すごく痛いわけではなかったが怖くなった。一体どこでつけてきたのだろうかこの傷は。よくよくみるとこの傷は岡本の腕についた切り傷の状態とすごく似ていた。
「裏道は、茨でいっぱいだから」
岡本はぽつりとだけ言うと,僕の腕をそっとつかんで消毒をしてくれた。
よくよく考えると僕は半そでだった。来るときは色々と考えに耽って精一杯だったからここまで思いに至らなかったのだ。
「僕も、ずっとあの道を通るんだ。遠回りする道もあるんだけど、遅刻するからね」
岡本は言った。僕はなんだか拍子抜けてしまい笑ってしまう。
「はは・・・・あはははははははははは」
岡本はそんな僕の様子をみて驚いていた。いつも無表情でしかない岡本が唖然としている顔は、なんだか新鮮だった。
「どうしたの?」
「いや岡本のことを心配していたからさ」
僕がそう言うと、「今日はちょっとね 調子が悪かったから」
と言ったが別にそういう意味ではない。
結局僕の考えは杞憂でしかなかった。流石にこの年齢になってまで身体が傷だらけだから虐待だなんて少しドラマの影響を受けすぎたのかもしれない。
「ありがとう」
「え?」
「心配してくれたんだ、ありがとうってこと」
そう言うと岡本は微笑んだ。はじめてみる微笑んだ顔。
はじめて見せた岡本の微笑みは、どこか不安定でありながら桜の花びらのような繊細でもろい表情のように思えた。僕の心臓はその笑顔に貫かれたのかもしれない。釘付けになった。
「どうしたの?」
「・・いや何もない・・」
慌てて僕は否定した。なるべく平常に何もなかったかのごとく対応することにした。どうかしてしまったのだ、まぁ結局虐待なんてなかったってことがわかって良かった。少し違和感は残ったままだった、違和感というかしこりというか普段なら見過ごしてしまうくらいの小さな穴。
この時の僕は、何も気にしていなかった。
「まぁ元気だったなら良かった、帰るよ」
少し居づらさを感じて僕は帰ることにした。
「岡本はずっとあの茨の道を通ってるんだなすごいな」
今からもあの道なき茨の道を通ると思うと少し憂鬱になる。ただ毎日岡本はこの小さな体で通っているのだと思うと素直に尊敬できる。
僕が立ち上がると、くいっとシャツの裾を引っ張られる。
「え?」
「お兄ちゃん帰ってくるから、もうちょっと待って」
岡本はそれだけ言うと、また僕からそっぽ向いた。
「お姉さんじゃなくて、お兄さん?」
お兄さんというのは初耳だ。
「うん」
「お兄ちゃんいたんだ?学生?」
「ううん、違う。仕事してる」
「仕事?会社勤め?」
「違う、デザイナーやってる」
「そうか」
一問一答みたいな答え。面接でももう少し膨らませて言うのだが。
この山道に似つかわしくないエンジン音が聞こえる ブオオオオオオオンと、エコだとか環境保全だとかいう主張に唾を吐いて蹴とばすようなけたたましい音を立ててくるのは赤いスポーツカー。
車は、この縁側とは逆の方向へ走りいく。
それをみてタタッと走って車の方へ向かう岡本を追いかけるように僕も後を追う。
車のドアが開く。そこからは綺麗な女性が出てきた。長く綺麗な髪に清楚な服装、町で見かけると二度見してしまうほどには美しい。一瞬岡本の面影も見えた、お姉さん?とも思ったが
「兄ちゃん、お帰り」
という岡本の言葉にまた僕は驚いた。お兄ちゃん?目の前にいるのはどうみても女性である。
「ただいまユウ。あれ、この子は友達?」
「うん、友達」
岡本が僕を友達と即答してくれたことに少し照れた。あまり岡本と話をしたことはなかったけどすごく嬉しく思う。
「こんにちは、三好といいます。」
「ああ、こんにちは。ユウと仲良くしてくれてありがとうね」
お兄さんは手をひらひらと振って笑ってくれた。
「兄ちゃん、今日僕が学校を休んだ時に三好がプリントを届けにきてくれたんだ。あの道を通って。」
岡本はそう言うと
「兄ちゃんに車で送ってもらってよ」
と僕に提案した。
「いや、さすがに悪いよ」
と僕は遠慮したが
「ええ、もしかしてこの山道歩いてきたの?いやそりゃ危ないって、いいよ送るよ。隣のりな」
とお兄さんは結構強引に僕の手を引いてきた。助手席と運転席しかないスポーツカー。明らかに高そうな車だけどお兄さんは若い。家も山奥だけど大きい、もしかして岡本家は金持ちなのかな?と思う。ただ強引に手を引いてくるのはまるで誘拐みたいで1瞬だけ戦慄したが悪気はないのだろうし、この力強さでああやっぱり男性なのだなと思った。
「ありがとうね」
そう言って岡本は僕に手を振るので、僕も少し照れ臭くなって手を振った。少し気恥ずかしくも思えるが岡本のその無表情からは感情は何も見えなかったので思い直して
「いや、、またね」
とドアを閉めた。車の中は何か多分流行りの歌がかかっていた。香水の匂いが少し心地よい。「じゃあいくよ」そういってお兄さんは車を走らせた。僕が車に乗ったとたんに、岡本は何か口をパクパクさせた。何かを言っているのか、僕は聞きなおそうと腰を浮かしたがお兄さんはすでにエンジンをかけて車を発進させた。僕は少しお辞儀してしまったその勢いで。
岡本はすぐに豆粒のようになるくらいに車は早く走る。僕が来た道と真逆で広い道があり窓から海と海峡大橋とその奥の島が良く見えた。
「大丈夫?荒くないか?」
「いえ、大丈夫です」
大丈夫ではなかったがそう答えることにした。お兄さんはそうか、荒かったらまた言ってねと言ったので僕もはいと答えた。そういえばとお兄さんは話を転換させて
「あの茨道通ってきたんだね?何かみなかった?」
と前を見ながら僕に聞いた。
「え?何かでるんですか?」
「いやそういうわけじゃないんだけどさ」
お兄さんは助手席の後ろに腕を回していた。男っぽいかっこいい仕草。横顔は睫毛が長く肌がきめ細やかで本当に男性なのか気になったが流石にそれをズカズカ聞くほど根性はなかった。
「はい、この広い道を知らなかったから」
「そうだね。あまり通らないよね普段この道は。何もないし」
「でも景色が綺麗です」
「そうだね。ありがとう。親が残した家でさ僕も気にいってるんだ」
お兄さんはそう言った。相変わらず笑顔だったが一瞬その表情が変化したような気がした。わずかな違いでしかないし気のせいなのかもしれない。
「おかも・・・」
言いかけて戸惑った。岡本の兄貴のことはなんて呼べばいいのだろうか?まさか岡本君と呼ぶわけにもいかないからお兄さん?お兄さんだとなんか変な感じだけど岡本さんというのもなんか変なのかもしれない。
そんな僕の様子をみてか
「岡本広樹、ヒロでいいよ」
お兄さんはそう言った。恐らく男性なのだろう名前的にも。
「男の人ですか?」
僕が言うと、
「そうだよ、ハッキリ言うね結構君って」
赤信号、ゆっくりと止まった車。お兄さんは頭をぽりぽり書きながらそう言った。僕はすみませんとは言ったが多分そこまで嫌な気分はしていないのだろうなとは思った。
「まぁよく言われるし別にいいけど」
お兄さんは自分の容姿に絶対の自信を持っている。自分が美しいと自覚しているのだろう。これはなんとなくでしかなく僕の独断と偏見で勝手に決めさせていただいているのだが多分そうなのだと思う。香水の匂いが少しきつい。
この後は、たわいもない話をした。多分趣味も性格も違うから話も合わないし、共通点である岡本についても僕は今日の今日までほとんど知らなかったしというか今でもほとんど知らない。それでも割と話が盛り上がったのは僕が相手に合わせることがうまいからというよりかお兄さんが話をするのがうまいからなのだろう。
正直頭に内容は入ってこなかったけど。ブオンブオン荒い運転と多分本当は僕には興味がないんだろうなというお兄さんの態度のせいで。だからさっき岡本が何か言いかけたことが今になって気にかかった、そういえば「気をつけて」と言っていたような気がする口の動き的に。
車の運転が荒いということに対する注意勧告なのだろうか、いやじゃあなぜ送って帰ってやってくれとお兄さんに言ったのか?性格悪いのか岡本は本当は?そんなことをもやもや考えていたがキリがないのでやめた。
「この公園の前でいい?」
「あ、ありがとうございました。」
いつの間にかついていた。僕はお礼を告げて車から降りてもう一度お辞儀をした。一応の礼儀だ、もう会うことはないだろう。なぜか少しほっとしていた。
「うちの弟と友達?」
お兄さんはドアを閉めずこちらを向きながら僕に言う。友達?と聞かれてもあまり岡本とは話もしたこともない仲である。
「うちの弟、可愛いでしょ?」
お兄さんはにこっと笑っていた。一瞬さきほどの僕の裾をひく岡本の様子が思いついた。背が僕の肩までもなく手も顔も小さく、色が白く睫毛がスラっと長くよく考えてみるとその辺の少女より・・・
ふと正気に戻った僕はそんな考えを振り払う。僕は一体何を考えていたんだ!
「・・・はぁ」
変な間が空いてしまった。別に僕はそんな気持ちはない!あえて塩対応の返事をしてみたがお兄さんはまるですべてお見通しみたいな顔で僕を見つめていたので居心地の悪さを覚えていた。
「でも気を付けなよ、あいつは母親の血を引いてるからね。死にたくないでしょ?」
え?僕はその言葉を処理するのに戸惑った。何を言っているのかと思っていたがお兄さんはそれ以上は何も言わず僕に手を振ると、
「またね」
と車を走らせてしまった。意味深なことを言ってどこかに行ってしまうのは本当にやめてほしい。ただ僕はお兄さんに対して漠然とした悪感情を抱いているので多分僕を意味もなく脅しているだけだと思いその日は、その言葉をそれ以上詮索はしなかった。
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