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魚売り
戦後まもないころ。
海辺から魚をカゴに入れ、かついで売り歩く女がいた。夫は戦死したらしい。何里も離れた山のなかまで、毎日、かよっていた。
男は負傷兵だった。命だけは助かって帰国したものの、家は焼け落ち、家族もみんな死んでいた。
物乞いみたいに知りあいの家をたずね歩き、どうにか、その日その日を食いつないでいた。
野宿することも多かった。
そんなとき、魚売りの女を山中で見かけた。
男は空腹で死にそうだった。
女を林のなかにつれこみ、魚をうばおうとした。
殺すつもりはなかった。
ただ、食い物と、あわよくば金が欲しかった。
だが、運悪く、抵抗した女をつきとばしたとき、石に頭を打ちつけ、女は死んでしまった。
男は、しかたなく、女を埋める穴をほった。
深い穴のなかに女の死体を投げ入れたところで、空腹にたえかねた。
とりあえず、魚を焼いて食った。
さんざん食って、切りおとした魚の頭やハラワタを、女の死体の上に落とした。
ひどく生ぐさい。
魚の目がギョロギョロ光って、薄気味悪い。
穴のなかは魚の目玉で、いっぱいだ。
その後、男は近くの知人の家をたずねた。
知人は古くからの豪農で、米を腹いっぱい食わしてくれた。
人心地ついたあと、ふいに足の裏に、にぶい痛みがあった。見ると、ウオノメができていた。
「ずっと歩きづめだったからなあ」
男が言うと、知人は風呂をすすめてくれた。
「旅の疲れをいやしてこいよ」
「じゃあ、ありがたく」
総ヒノキの風呂場に案内された。
湯船につかると生きかえるようだ。
ほっと息をついていると、また足に痛みが。
見ると、さっきより、ウオノメがふえている。
さっきは、たしかに、一つきりだったのに、十個くらい。
熱い湯が、急に、ひんやり感じられた。
そのあいだにも、また痛みが。
今度は背中だ。痛みも、するどい。
次には腕に。腹にも。
ウオノメだ。
魚の目玉みたいなデッカイやつが、次々、できてくる。
怖くなって、男は風呂場をとびだそうとした。
だが、動けない。誰かが足をつかんでいる。
あの女だ。
殺した女が、恨みがましく、水のなかから、にらんでいる。
女の目。
魚の目。
湯船のなかは、目玉で、いっぱい。
ブクブク。ブクブク。
目玉は増え続ける。
目玉のなかで、男は、おぼれ死んだ。
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