第一章:恋慕

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「なんか大掛かりなことが始まるのね」  台所では母がダイニングテーブルで、ニュース番組を眺めていた。 「オメガなんとか、だっけ?」  テーブルに置いてあった弁当を鞄に入れながら、母の横顔に話しかける。 「それそれ。来年の十月って聞いてたけれど、気づいたらもう来月なのね」  そう言われて、去年、厚生大臣が記者会見をして発表していたのを思い出したが、忘れていた。 「でも健康診断みたいなものじゃないの?血液検査らしいし」 「何にせよ、面倒なことはしたくないわね。あ、お父さんのお水変えなくちゃ」  母は立ち上がり、リビングの横に置いてある父の遺影の水を手にとった。  新聞記者だった父は、真人が五歳のときに、取材中事故で亡くなった。  それ以来、母と二人暮らしをしているが、母も昼間に会社員としてフルタイムで働いているせいだろうか、ありがたいことに生活の不自由はしていない。母は、真人に寂しい思いをさせないように、真人といるときは極力会話する時間を持つようにしてくれた。今では、親子なのにまるで友達のように仲がよい。母子家庭でも、自分は恵まれた家庭環境の方だと思っている。 「じゃ、いってきます」 「いってらっしゃい。今夜は、まさくんの好きな白身魚のムニエルやるよ」 「やった。早く帰ってこよう」  おおげさね、と母が嬉しそうに笑う声が背中に聞こえる。  玄関で靴を履いているときにも、番組の中でコメンテータが来月に控えた国民調査について解説していた。 「国民に詳細を知らされてないまま、国民全員が義務の診断なんて、税金の無駄でしょう。東大臣を指名した小栗首相の責任が問われますな」  その声も背にしつつ、真人は家を出た。
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