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秋、コンビニにおでんの匂いが漂う季節。すべてが無機質なパッケージに包まれたコンビニにおいて、おでんのみが生きている。それはもはや小宇宙とでも呼ばれるべきものだ。つゆの海の中ですべての具材が手を取り合い、完全なる調和が形成されたかと思うと、一方でそれは外界と交歓し、その境界面をカオスで波立たせていた。
つゆの匂いを吐き、エアコンの風を吸い、客の唾を飲み、貪欲な羽虫を食らい、おでんは生きている。すべてが俗物的に思われるコンビニで、その生の営みは感動的でさえあった。惜しむべきことは、この小宇宙の中で生殖が起こりえないことだ。工場で不妊にされた食材たちに対しては、どうしても同情を覚えてしまう。
しかし、こと生殖ということに関して言えば、彼らに同情する必要はない。というより、してはならない。
最近、コンビニにおでんの什器が出る季節が早まってきてはいないだろうか? 早いところでは、もう八月の下旬からおでんをレジの前に並べているのだ。賢明な人であるならば、人類のことを真に愛する人であるならば、この現象のおかしなことに気づくはずだ。まだ夏の暑さも去らぬ中、冷房を効かせた店内でおでんを売ることで、いったい誰が得をするというのだろう。そんな暑さのなか、わざわざおでんを買おうなんて奇特な人間は滅多にいない。とすると店の側としても利益などとうてい見込めないだろう。
そう、この陳列で得をするのはおでんなのだ。彼らは並べられているのではない、自らを並べさせているのだ! いずれおでんが展開され出す時期はより早まり、ついには一年中おでんがコンビニに並ぶこととなるだろう。そうなったとき、おでんの円環が閉じ、彼らは宇宙の理を超え自己増殖することができるようになるのだ。
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