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「日本で辛いと思ったこともどうでもよくなりました。記憶が薄れていくっていうか。思い出さなくなっていきました」  忍は何を言っても表面的になるような気がして黙って聞いていた。 「でも有村さんのことだけはずっと覚えてました。あの、怒った猫みたいな目で『思い通りになるのは自分のことだけだ』って言っていたのを」 「怒った猫って、それどうなの……?」 「自分自身のことも整理がついて、日本に帰ってきました。絶対に有村さんに会いに行こうと思いました」 「……」 「たぶん、普通に四井建材受けたら落とされると思って……」  一度言い淀んで、ため息を吐き出しながら五十嵐が言った。 「……初めて父親に頼み事をしました。四井建材に入れるように力を貸してくれないかって」  入社試験も、面接も、五十嵐の能力なら余裕で合格しただろう。けれど五十嵐セメントの息子が来たとなったなら話は違う。余計な詮索をし、同業の大手取引先の息子など念のため入れないでおこうと人事は思うだろう。 「四井建材に入った経緯はこんな感じです。呆れたでしょう? 父親の力を借りた甘えたボンボンです」  恥じているのか、五十嵐の視線は忍と合わせられることはなかった。  履歴書を出すから、どんなに身分を偽っても五十嵐セメントの息子だということはバレるだろう。どんなに努力しても家のせいで希望の会社に入れないのなら、その家の力を逆に利用するのが呆れることだどは思わない。 「俺もお前と同じ立場だったら、同じことすると思うよ。それに父親のおかげで入れたとしても、そのあとは自分で頑張らないと返品されちゃうからな」  返品どころか、その後の五十嵐の有能ぶりは忍が一番知っている。
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