別れと出発

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 九才位になるとお腹がすくのです。  お寺についた翌日から、翌年の三月始めまでこの量は変わりませんでした。  勿論、白米ではなく丸麦が沢山入っていて、プチンプチンと歯ごたえのある御飯でした。  ある時は、きび御飯だったり、大根御飯だったり、高梁の沢山入った赤飯だったりでした。  戦時中だからどんな物にも感謝して、戦地の兵隊さん達への思いを新たにしなければならなかったのですが…。  同級生達が集まっての話題は何時も大阪の家族との食卓場景です。  母親が工夫して作ってくれるいろいろな食事の話ばかりが話題に上りました。  オヤツもないし、ほんとうに毎日が空腹の日々でした。  「何か食べたい… もっと欲しい… 何かないのかしら…」  思いは食べ物のことばかり、頭をよぎります。  空腹な毎日が続き、雨が降った時など、出来た水溜りに落ちる雨垂れの形がアイスクリームに見えたり、握り拳をパァッーと開いた時の掌の赤味と黄色が蒸したての薩摩芋を連想させたりして、空腹の中でしかお腹を満たすすべが無かったのでした。     
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