九夏

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 視界を奪うほどにきつい複眼に似た光の下、栗花落は瞳を閉じた。  今から抜歯が始まる。一番奥の、存在意義がひとつもないが、健康で丈夫な歯を割られ、そして抜かれる。この冷たい人の手で。 「麻酔をかけますからね。少しチクッとしますけれど、まあ一瞬ですので」  軽くうなずき、口を開ける。遠慮の無い動作で歯茎に針が刺さり、緊張感に欠けるきらきら星が流れた。麻酔薬がじわじわと粘膜に浸潤する様を夢想しながら、これもあの日の快楽と少し似ていると思った。根を伸ばすように広がる、麻酔薬。苦味が舌の脇に触れて、つい足が小さく跳ねた。 「大丈夫ですか?」  まったく心配してないような声音でそう問われ、なんだか面白かった。歯科医は歯茎に刺さったままの注射針をじっと見つめながら、ぽつぽつとマスクの中で声を吐く。 「栗花落さん、珍しい名字ですね」  ふぁあ、と間抜けな返事を返しながら、そういえばこの医師も変わった名字をしていたな、と思い出す。予約表に記されたその名が目を引いたのだが、何と言ったか。 「かく言う私も、“官能”なんていう名字でして。なんというか、変わった名字というのは、苦労しますね」     
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