九夏

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 ああ、そうだった。官能さんだ。官能巽先生。初診の時、官能という響きが妙に似合う人だと、施術への説明を聞き流しながら納得したことを思い出した。泣きボクロも、潔癖そうなマスクの上で伏せられた目も、そう言われるとどことなく官能的だ。  抜歯。歯を抜くこと。この行為の重大さ、そしてリスク。かけがえのない大切な歯を、あのいかにも清潔然とした器具で抜かれてしまう。麻酔の苦みを舌で舐めながら、ぶるりと大きく体を震わせた。やはり、すごく、性的だ。  官能は栗花落の歯茎をぐにぐにと押し、麻酔のかかり具合を確かめる。 「これ、触っているのが分かります?」 「いいえ」 「そう。じゃあ、早速抜きますかね。……鮫島くん、補助」  受付の奥から、鮫島と呼ばれた青年が憮然と肩を怒らせながら歩いて来る。男の歯科助手は珍しいような気がした。彩度の低い、褪せた茶髪が衛生的で白々しい歯科には似つかわしくない。やってきた鮫島某の方を何気なしに見やり、思わず息を詰めた。  いつかの夜、汚いボロホテルの浴室でいやいやながら栗花落に尿をかけられて、あまつさえ陰茎を咥えられたあの青年だった。嫌悪と冒涜と情欲とを一晩にして味合わせられた、あのいたいけな。 「栗花落さん、鮫島君に見惚れず、まっすぐ向いていてくださいね」     
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