九夏

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 見ますか? と選択肢を投げかけながら、ちゃっかりピンセットでつまんだ無残な歯を見せびらかしてきた。患者がうら若き乙女だったらどうするつもりなのだろうか。  最初のころと比べて官能が饒舌なのは、彼も興奮状態にあるからなのだろう。きっと、彼の職業選択は趣味を兼ねている。栗花落には判る。 「では、明日また消毒しに来て下さいね」  目礼をしてから冷たいユニット・チェアを下りる。すっきりとした顎を擦りながら、そういえば診察券を返してもらうのを忘れたなと、辞したばかりの診察室の扉を開けた。果たしてそこには、栗花落の歯を抜くために身を乗り出した時のように、椅子に片膝を乗せて反対側にいる鮫島の唇を吸う官能医師の姿があった。ああ、そういうことか、と納得して、今度こそ栗花落は官能歯科医院を後にした。  よく考えてみれば、医師の名は頭の中をまさぐらずとも、すぐそこに記してあった。思わず嗤ってしまう。ぽっかりと穴の空いた歯茎がどくんと脈打った。夜中に急患として治療をして貰ったのだが、なぜか時間外手当は含まれていなかった。代わりに、予約表と一緒に官能医師の名刺が挟んであって、裏側には小さく手書きで携帯番号が記入されていた。これはつまり、そういうことだろうか。               *   *   *              
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