九夏

21/21
106人が本棚に入れています
本棚に追加
/113ページ
 薄い手袋に包まれた無骨な指で、歯と歯をこじあけられ、隙間に手を入れられ、冷たくおぞましい器具が舌を押さえつけ、一番奥の、大切な、どれよりも丈夫で大きな親知らずを抜かれる。抜かれてしまう。大切な歯を、見ず知らずの人間によって。これ以上に濫りがわしい邪淫の行いを知らないような気さえした。それこそ、今までソドミーに耽溺していたことさえ、なんてことのない、ただの子供の戯れのよう感取してしまう。  抜歯こそがこの世で一番の性行為だ。抜歯は、処女の破瓜だ。虚偽の破瓜によって、初恋は消え去る。     悩みの歯は消え失せた。もうどこにもない。火傷のような失恋を刻みつけた花崎医師との思い出も、もはや文庫本ひとひらしか存在しない。その本に宿った思い出さえ、すでに栗花落が吸いつくし、今こうして昇華させてしまった。これで前に進める。  当面は官能医師と鮫島の二人掛かりで口内を淫猥にまさぐられ、昏い肉の穴を診て貰わねばならぬだろう。それが楽しみで、怖くもあり、期待で胸が張り裂けんばかりに疼いている。新たなる性癖が、今まさに頭を擡げ始めている。これは終わりの無い晩餐だ。永遠に続くお茶会のように、果てがない。正しくアリスの世界そのものかもしれない。一人ぼっちで競いあう、赤の女王仮説。性の飽食。 「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」  夏は完璧に死んだ。              
/113ページ

最初のコメントを投稿しよう!