665人が本棚に入れています
本棚に追加
/199ページ
先の信号が変わるのを遠目に確認しながら、赤いランプが灯るに合わせてブレーキをゆるやかに踏み、間が空くのもかまわず心を落ち着かせてから言った。
「まず今のに突っ込むとしたら、キミ、一人じゃないから。何のために俺がいるんだと思う?」
「キミとか微妙な感じで呼ばれるの好きじゃないんで、名前で呼んでもらえます?苗字でも名前でもどちらでもいいんで」
ーー そこかよ?お前の名前なんて今のショックで忘れたよ!質問には答えないで、そういう主張はちゃんとするわけだ?!
運転に差し障らない程度に深く息をつく。
「一週間後にここから近くの島で映画の撮影がクランクインになる、それはわかってるよね、手塚くん」
苛立ちを抑えようとするあまり、小学生に諭すような嫌味がましい口調になるのを止められない。
「えぇ、もちろん」
ーー 何が『もちろん』だ!アイドルごときが演技を馬鹿にすんな!自分の持ち場だけ守ってりゃいいんだよ!歌って踊ってろ!
「手塚くんは瀬戸内海にある島出身の青年の役。この映画の主演だろ」
「主演?主演は槻山嶺奈でしょ。俺はとにかく目立つなって言われて仕事受けたんですけど」
「はぁあ!?」
いろんなタイプの人間には今までも会ってきたが、これほどまで会話が噛み合わない相手に会ったのも初めてだ。
「……あのね、演技って下手でも目立つんだよね。悪目立ちしてマスコミで取り上げられたりするわけ。それに役者はどんな役だって真剣に演じるのが仕事なんだよ」
「はぁ。で、一週間何するんですか?」
気の抜けた返事にため息が出そうになって、秀野の言葉を思い出す。
『人気俳優が監督するチャラい映画、滑るの間違いなしってクランクイン前からマスコミに叩かれてんだよね。ひどくない?聖、俺を助けろよ。主演の佳純、一週間前乗りさせるから、面倒見てやってくんない?』
手に余って麻生に押し付けたというところか。
槻山嶺奈にしても、ドラマ一本で偶然当たっただけの大根女優だ。ぼやっとしているだけの女を、透明感の中に揺れる不安定な美しさとか形容されても麻生にはさっぱり理解できない。
ーー 台詞もまともに回せねー奴が、いっちょまえに映画俳優とか!叩かれて当然、こけて当然の映画だろ!誰か止める奴はいなかったのかよ!!!
最初のコメントを投稿しよう!