02 一日目 / 手塚佳純side

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 大量の仕事も、どうしても手塚がやらなければいけないというものは最初から何もないのだということを思い知らされる。ツアーの時期でもなく、他のメンバーはそれぞれのソロ活動で忙しい。  いっその事、芸能活動なんてやめてしまって別のことを一から始める。全く想像がつかなくて、考えることをすぐさま放棄したくなる。  濡れたままの髪が気になりながら、ごろりとシーツの上を移動する。  畳に放り出したままのトートバッグのポケットからワイヤレスのイヤホンを出し、耳に差し込む。スマホの画面に指を滑らせるとすぐ、録音された映画の台詞が再生される。  目を閉じて、麻生の台詞を聞く。  東京から訳ありで瀬戸内の島にやってきた主人公を励ましながら恋に落ちるという役柄だ。映画素人が聞いても危なげな話だと感じる。本気でやばいかも…と思いながらも、麻生の優しい声はぽたんぽたんと耳から体に染み込んでいく。 『ここから見る海、俺めっちゃ好きなんや……』  長らく止まることが許されなかった世界で、初めてぽんとひとつのことにだけ集中すればいい時間をもらって、心が追いつかないのだと思った。声の後ろに、ささっと柔らかな波の音が聞こえた気がした。
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