01 オーバーチュア / 麻生聖side

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 それでも、どうやったって一週間一緒に過ごさなければならないのは、今更もう避けようがない。それならば、当たり障りなく接するのが得策と瞬時に判断する。  仕事をスムーズに進めるのが最優先。ビシネスライクな関係でありながら、この男の機嫌に左右されるのも大人気ない。こんな考え方がそれなりに経験を積んできた結果かと思うと自分にうんざりした。 「ならいいんだけど、ね」  怪我をしてからこんなことが多い。役者をしていた頃はもっと自分に対して正直だった。もうその感覚はうっすらとしか思い出せないのだけれど。  目指すところは明らかで、まだ遠い一歩と思われる小さな出来事や行動にさえ、目標に近づく実感を得る喜びがあった。何かが違うと思った時には、とことん自分の感情に付き合ったし、利害関係なく周囲の人たちとも話をした。  誰かに厭われても気にしないほど、仲間と呼べる友人たちがいたし、不器用なりに前向きな麻生を可愛がってくれる人もいた。  名もない端役をこなす日々の中で、やっとステップアップとなるだろう役を得た矢先、仕事帰りに乗っていた自転車で交通事故に遭った。深夜のタクシー運転手が注意力散漫になって起こった巻き込み事故。  時間が経つにつれても歩き方はわずかではあるが不自然なままで、役者を続けるのは難しいという結論を出した。事務所の担当者が言う『しばらくゆっくり休んだら』という意味をやっと受け入れた。  先の仕事は全てキャンセルされていて他にどうしようもなかったのに、わからないふりをしていたのは自分だった。実績もなく足に不安のある麻生の代わりなど果てし無いほどの数の役者がいる。逃げて見ないふりしても、どこにも行くところなんてないのに。  近しかった誰もに腫れものにでも触るように微妙な距離を置かれ、自分から会いたい人もいなくて家に引きこもりがちになった。  それでも働かなくては生活できないから、事務所が好意で斡旋してくれる簡単な短期アルバイトを細々と続けるばかりの日々。この先どうするのか考える事を放棄し始めた頃から時間も風景を意味をなくして、一年近くが過ぎていた。
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