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そして水曜日。夫はいつものように帰宅。
「今夜0時、ベランダで待ってる」
と私に耳打ちした。ドキン、鼓動が高まった。入浴は念入りに。髪と肌はピカピカに。
記念日は明日だけれど、今夜の方がドキドキする。まるで前夜祭みたいだ。
藤色のワンピースを身に纏ってみた。髪にはあの薄紅色のバレッタでハーフアップに。
秘かに、ダイエットもしてきたのだ。私は静かに、ベランダに向かう。夫は夜空を眺めていた。
…ドキ、ドキ、ドキ…
ドアを開ける。夫は振り返った。
「……綺麗だ……月影に映える花色衣だな。藤の花の」
呟くように言った。空耳かもしれない。もしかしたらこの出来事全てが幻かもしれない。だって都会の空にこんなにお星様が綺麗な訳ないもの。
夫は半紙を差し出す。震える手で受け取った。今宵は満月。月影で照らされる、ほの白い紙。私の送った歌。あの紫の上も呟き、光源氏が浮気を反省した和歌だ。
~忘らるる 身をば思はず 誓ひして 人の命も 惜しくもあるかな~
<右近>
(口語訳)
あなたに忘れられてしまうのは、自業自得と諦めます。でも永遠の愛を誓ったあなたが神罰で失われるかもと惜しまれてなりません。
ー夫からの返歌ー
~ひさかたの 月の影照る 黒髪に 恋ぞ積もりて 愛となりぬる~
(口語訳)
月の光に照らされる君の黒髪。恋が積もって愛になっちゃったよ。
やっぱり朧月だ。いや、違う。涙で月が霞んで見えるだけだ。
夫は両手を広げた。素直にその胸に顔を埋める。
見上げれば月影に煌めく優しい眼差し。どちらからともなく、唇を寄せた。
月が私達を優しく見守っていた。
~完~
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