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私はレンブラントの『イサクの犠牲』を観ていた。ヴィアル上にあるミュージアムは、呼び出しさすれば、いかなる美術品であろうと眼前に現れる。神に子を捧げるよう預言を得たアブラハムは愛する息子イサクを殺そうとする。アブラハムの大きな手がイサクの顔を覆い力を込める。露わになった白い首。アブラハムの右手に握られたナイフがその首を裂こうとしたその瞬間、美しい天使が現れて諌める。イサクは死ななかった。しかし、動画の中の少年は死んだ。少年は男に殴られる間際、「とうさん、お仕事」と言った。私にはその意味がわかる。男は配信が仕事だと言っていた。周りの友人の親たちは世間的に認められている仕事に従事している。対して自分の父親は昼間から酒に浸り、ろくに稼げもしないことを「仕事だ」と言ってパソコンの前に座っている。そんな父親に呆れながらも、父の言う「仕事」を応援しようとしていたのだ。少年が勝手に動画の配信を開始したのも、仕事だと言い張るならせめて時間通りに始めてほしいという気持ちからだったのだろう。この日も少年は父のためを思い、動画の配信ボタンを押した。しかし、虫の居所が悪かった男は配信が開始していることにも気づかず、我が子を殴り殺した。私は目の前の絵画に描かれた、羽根の生えた天使を見つめる。私は天使になれなかった。過去の事象は止めることはできない。私には羽根も生えていない。気づけば、羽根どころか身体というものさえなくなってしまった気がした。少年の全てがわかる。何もかも。なぜ私はこの少年のことを知っているのか。その答えはひとつしかない。
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