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死
いつもと変わらぬ一日の始まりに、失ってしまった過去の冒険心に想いを馳せながらどこか退屈な気持ちを押しつけるようにパンを口に押し込む。
過去を変えることはできないが未来は変えることができる。
どこがで聞いた言葉が頭の中でゴーンと鳴り響くが、やがてそれも虚しく消える。目覚めてから朝はとにかく忙しいのだ。
忙しいながらも頭の中では下らないことを堂々巡りさせている癖に、手はパンを口に運んだりコーヒーを飲んだり束の間の一服をしたり。
朝はとにかく忙しい。
「ワイシャツのボタン掛け違えてない?確認したんか?」
いつもこうだ。家を出る間際になると母ちゃんの声が頭に蘇り、何かを考えないと心の中のバケツがひっくり返りそうになる。
「あんたはようやっとる」
「母ちゃんの子やから大丈夫」
「辛かったらいつでも帰って来なさい」
ああ、ダメだ。
玄関先で僕は時たまこうやって母ちゃんの声を思い出しては動けなくなる。
なんでも無難にこなす聞き分けのいい子は、本当の自分なんだろうか。
「この間違い、前もしたよね?」
「もういいよ、この仕事は私がやるから」
「仕事ができないのを新人だからって理由つけて逃げてない?」
「みんなが残業してる理由考えたことあるの?思い当たる節ない?」
母ちゃんの言葉の後には職場で上司に浴びせられる叱責の言葉が走馬灯のように頭を駆け巡る。
過去も未来も、清算したいなあ。
なんの気力も無くやっと開けた扉から、空っぽの肉塊が放たれる。
しわくちゃのスーツにボロボロの鞄、擦り切れた革靴。
午前8時半。
傷だらけの腕時計はしっかりと、時間を刻んでいる。
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