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「…あの中に狼がいる。」
墨郎の視線の先には無数に群れる烏たちがいた。
墨郎は、本名を住吉拓郎と言った。
美大の二回生である彼は墨を使った日本画を得意としており、筆から生み出される動植物はいくつもの絵画展で入選をはたしていた。
そんな墨郎に変化が起きたのが半年前の冬のこと。
大学近くで絵のモチーフを探していたところ、雪の広がる山の斜面でもはや形すらわからなくなった動物の死骸とそれに群がる烏を目撃したことからはじまった。
「…すまない、少し家で描く…。」
そう言って寮へと戻る墨郎はどこか心ここにあらずという感じであった。
それから墨郎はまともに大学に来なくなった。
聞いた話では彼は一日中、山へと向かい、憑かれたように死体に群がる烏の群れを観察しては家で筆を走らせているという。仲間と話さず大学の講義にもまれにしか出席しない墨郎に、やがて周囲の人間は少しずつ離れていくようになっていった…。
それからひと月後。
彼の寮の近くで飼われていた犬が変死した。大きな土佐犬で喉にばっくりとまるで大きな獣にでも喰われたかのように巨大な穴を開けて死んでいたという。
近くには痩せこけ、目だけが炯々とした墨郎が一心不乱に筆を動かしていたそうだ。
当然、墨郎は警察の取り調べを受け…そして解放された。
犬の死因である喉元の噛み傷がどうみても人のものよりも大きく、寮母が犯行のあった時間に彼が外出していなかったことを証言してくれたからであった。
だがこの事件をきっかけに墨郎はますます人を寄せ付けなくなった。
大学に行くこともなくなり、やがて墨郎は仲間からもしだいに忘れ去られていくようになっていった。
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