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なんかいもはじめまして
「あらぁ、綺麗なお姉さんの横に座らしてもらえるんやなぁ」
嗄れた優しい声が聞こえた。振り向くと名島さんが、職員のお兄さんに連れられて立っていた。
名島春子さんは笑顔が素敵な女性だ。本人は89歳だと言って聞かないけれど、実際は80歳。私よりも3歳年下という事になる。顔はしわしわで、入れ歯がないと口がへこんでしまうおばあちゃんだけど、目だけは少女のようにぱっちりと大きく爛々と輝いている。
「おはようございます、名島さん。今日は遅いから、どうしたのかと思いましたよ」
彼女がいつもこの施設に来るのは10時くらいなのに、今日は30分も遅れていた。
「今日は車が混んでたんですよー」と施設の職員さんが言っても、名島さんの耳には届いていなかった。彼女はきょとんとした顔で私を見て首を傾げた。
「なんで私の名前知ってるんやろか」
名島さんにすれば初めて会う人が自分の名前を知っているのだから、きっと不気味だと思うはずだけど、彼女はそんな素振りを一切見せない。無垢な子どものようだ。
「ここの職員さんに聞いたんですよ」と私は答えるようにしていた。「名島春子さん。綺麗な名前ですもの。すぐに覚えられますわ」
名島さんはぼけが来てるのだと、品の悪そうな女性が言っているのを聞いたことがある。職員の人は「ニンチが進んでいる」とよく言っている。
「そんな褒めてくれて、嬉しいわぁ」
くしゃっと笑う彼女の顔は、誰のどんな言葉も寄せ付けない。年頃の少女のように見えるその顔は天使か、なにか有難いものなのではないかと今でも思っている。
「お姉さんの名前は何て言うんやろか」
「加川ルミ子と言います」
「カガワさん言うんか。はじめましてやなぁ」
年甲斐もないことなのだけど、はじめましてと言う彼女の声も、表情も、私は好きだ。
「ええ、初めまして。どうぞよろしく」
「嬉しいわぁ。こんなきれいなお姉さんと会えるなんて、今日来て良かったわぁ」
けらけらと笑う名島さんと話していくと、心が洗われていく。他の人からはよく「一緒にいるとあなたまでボケる」なんて言われるけれど、そんなことはあるわけがない。
それにもし、本当に右も左も分からなくなったとしても、それも良いのかもしれないと私は思っている。毎日彼女と初めて会える感動があるのなら、それはきっと素晴らしい事だから。
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