隣の家

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 三ヶ月ほど空いていた隣家に、新しい住人が入居した。  越してきたのは藪崎徳馬。この地域の、ちょっとした名士だ。高校の教諭を早期退職後、市議会議員を二期務める。その後、病気がちの妻の介護を理由に、三期目は断念。政治の世界から、すっぱりと足を洗っていた。妻の療養目的で、田舎の温泉地に籠もったのが、ちょうど二年前。それ以来、とんと噂を聞かなくなっていた。  藪崎が実現させた政策は、多目的トイレの新増設や、市内公共施設の完全バリアフリー化、特に福祉関係の実績が多かった。そのため、弱者に寄り添う為政者として、多くの支援者やシンパがいた。二期目終了時点で、まだ六十五歳。三期目を期待していた支援者の多くは、ずいぶん落胆したものだった。  その藪崎が、ひょっこりと、この街に戻ってきた。それも病気の妻を田舎に残し、たった一人で戻ってきたというのだ。  藪崎の入居した一軒家は、実はこの界隈で有名な、曰く付きの賃貸物件だった。長くとも一年、とにかく、すぐに借り主が替わってしまう。  その理由は、離婚、病気、事件、実に多種多様だ。事件というのは、覚醒剤使用による騒動。錯乱状態の隣人が我が家のチャイムを鳴らし続け、危険を感じた妻が警察に通報して発覚した事件だった。つまり、大なり小なり、その度に我が家には何らかの不利益がもたらされていたのだ。  とくに、三ヶ月前まで住んでいた老夫婦は最悪だった。何が気にくわないのか、やたらとウチに因縁をつけてくる。やれ、話し声がうるさいとか、庭木の枝がはみ出しているとか…。そのうち、朝な夕なに大音量で音楽を流し始め、昼間家にいる妻は、ノイローゼ気味になってしまった。その迷惑な隣人が、夜逃げ同然にいなくなった時には、心底ほっとしたものだった。  しかし次に、またどんな変わった隣人が現れるのか分かったものじゃない。なにしろ隣家は、曰く付き物件だというのに、不思議と借り手が次から次へと決まるのだ。だから新しい住人が、あの信頼おける藪崎だと分かったとき、やっとまともな隣人に恵まれたと、夫婦で胸をなで下ろしていた。
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