隣の家

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 藪崎は元議員らしく、話題が豊富で話術が巧みだ。洒脱で気さくな人柄、ボクら夫婦とも、 “あっ”と言う間に打ち解け、挨拶を交わした週の週末には、夕食に招待するほどの仲になっていた。  ボクは、藪崎より一回り年下の五十六歳。小さな広告代理店に勤務するサラリーマンだ。先月、一人娘が嫁いだばかりで、妻と二人きりの寂しい生活を送っていた。だから社交的で明るい藪崎の存在は、我が家にとっても渡りに船だったのだ。 「実は、まだ籍は外していないんですが、妻に三行半を突きつけられちゃったんですよ…」  アルコールが入り、藪崎の口が滑ったようだ。突然、ずいぶんプライベートな話を始めた。藪崎の歓迎会、場所は我が家の居間だ。テーブルの上には、腕によりをかけた妻の手料理が並んでいる。 「ああそれで、一人で戻ってこられたんですか…。でも奥様、ご病気なんでしょ?」 「ええ、もちろん妻に対する責任はあるから、田舎の療養型介護施設に入れてきたんですが…。もう、ボクの考えについてこれないって…」 「考え?」 「うん…。議員をしていたころは、ある意味楽だったんですよ。まず政策を立案し、その実現のために、粉骨砕身働けばよかったんですから。でも、妻と田舎に籠もってからは、いろいろと気付くことがあったんですよ。ちょっと、神秘的なね…」 「神秘的?」  藪崎は、いかにも口が滑ったというように、自分の後頭部を二回叩いた。 「いやっ、今の話は無し! ここまでにしましょう! まぁ要するに価値観の違いっていうやつですよ! ははっ…」  誰にでも、口にしたくないことはある。でも、藪崎は何度もボクの表情をうかがいながら、『まいったまいった』と、呪文のように繰り返している。つまり、本音では別居の真相を話したくて仕方ないのだ。 「あれっ? もうこんな時間か…。ずいぶん長居しちゃったな…」  いつの間にか、夜の十時を回っていた。 「じゃー、続きは次回ということで…」  藪崎は上機嫌だった。鼻歌交じりで隣家へ帰っていく。ボクらも、久しぶりに楽しい時間を過ごすことができた。 「良かったよな、気が合いそうで…」  妻を見ると、何故だか浮かない顔をしている。 「そうだと、いいんだけど…」 「なんだよ…。変な言い方をして…」 「だって、変なお隣さんばっかりだったから、少しは慎重になるわよ…」
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