序章 綺麗なお花はいかが?

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序章 綺麗なお花はいかが?

僕の初恋は、まさに一目惚れだった。 あまりに一方的で、日常的な彼女との出会い。 ある春の日のこと。 柔らかな春の日差しが暖かく、市場が建ち並ぶレンガづくりの大通りの真ん中で、僕は今日も平和に過ごせるかなあなんてのんきなことを考えていた。 ここは僕の暮らす国の中心の街、エトミーゼ。 貧富の差が激しいこの国の中でも、経済状態は真ん中の辺り。貧困層の住人の手にも届く値段で野菜や果物、肉から、農作業に使う道具や武器までもが全て揃う大きなこの市場は、いつ来ても大賑わいだ。 僕は昨日稼いだ銅貨20枚のうち、10枚で5日分の食料を買いだめる。少しでもお金を無駄にしないように、必要最低限のものだけを買う。 僕がこんなに必死になってお金を集めている理由。 僕は10歳のとき、母親を亡くした。 貧困民が群がるスラム街で、お金目当てで殺されてしまった。 僕が物心ついた時にはもう父親はいなくて、僕のために一生懸命働いてくれた母が大好きだった。 なぜか悲しいとは思わなかったけど、切れ味の悪い家庭用包丁で刺された母の姿と、飛び散る赤色は今も鮮明に思い出すことができる。 そんな僕を拾ってくれた市場通りの喫茶店の主人は、喫茶店の一角の部屋を貸してくれて、僕の働き場所まで探してくれた。 だから早く自分の家を建てて、今お世話になっている喫茶店の主人に恩返しして、こつこつお金を貯めながらゆっくり暮らすんだ。 そんな時だった。 舞い散る桃色の花びらの向こう、近づいてくる一人の影。 僕の心は一瞬でその人に奪われた。 少し黄色がかった桃色の長い髪を春風にたなびかせ、臙脂色の膝まであるドレスに白いエプロン。足元はコーヒーのような色の革のブーツで、手に持ったかごには美しい紅色の花々が入っていた。 僕と目が合った彼女はブーツの底をぺたぺた鳴らしながら近づいてくる。 彼女の姿は、近くで見ると、一層美しかった。 白い肌に深紅の瞳が映え、薄い唇は緩やかにカーブを描いている。 そして、その口を開いた。 澄んだ声が、僕の脳裏に焼きつく。 「綺麗なお花はいかが?」
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