16--初めての会話

2/3
前へ
/64ページ
次へ
夢を見ていた。 もう何年も前。新入社員だったころ、高木と初めて話した日のこと。 涙を我慢するのが限界で、泣ける場所を探して非常階段に通じる扉を開けると、風が吹き込んで来た。そこには先客がいて、その人はちょっと驚いたように笑った。 「何かあった?」 同期の、同じ研修チームになったばかりの人だった。 「ううん。あの。さっきはごめんね。私の提案が悪かったから、チームの課題やり直しになっちゃって」 入社三日目、与えられた研修課題で、私たちのチームだけ、見当違いのことをして指導担当にひどく叱られたのだ。そしてその言い出しっぺは私だった。 自信があったぶん、ものすごく恥ずかしかったし、チームのみんなに申し訳なくて、自分が本当に嫌になった。 その同期は、ぽんと頭に手を置いてきた。 「熱いのはいいけど、自分を責めすぎ。案の採用は、みんなで話しあったことなんだから、連帯責任に決まってんだろ」 口だけじゃなく、本当にそう思ってくれているのが優しい表情から伝わった。他の人は「大丈夫だよ」と言いながら、「お前が悪いんだぞ」と頭の中で笑っているのが透けて見えたのに。 「えーと、名前……」 その人が聞いてきて、私は答えた。 「黒野ナツキ」 「そうそう、黒野か。俺の大学時代の後輩に黒野っているんだよなー。すっげぇゴツイやつ」 「えーそうなの?なんかその後輩連想させちゃうね。ナツキでもいいけど」 「じゃあ、ナツキ、さん。あ、俺は高木ね」 ふっとその人は笑った。 「これでも吸う?」 タバコの箱を傾けられる。 「嫌なことあったときに吸うとラクになる、俺はね」 「嫌なこと?」 「んー。これから社畜になると思うとストレス?」 「はぁ」 私が、よく分からないという表情をしていたのか、その人は笑う。 「ナツキさんは、そういうストレスはなさそうだね。で嫌なことあっても逃げなさそう」 「うん。私はここの会社、入りたくて入ったから」 言ってから、「あ、しまった」と思う。 この人は、あまりこの会社に思い入れなさそうで、就活も納得いかなかったのかな、とそう感じていたのに。 自分はやる気あります、って顔をしてしまった。 うざがられるかな?と思ったけど、その人は笑みを崩さず、差し出したタバコも引っ込めなかった。 その人のことをもっと知りたくて、私は吸ったこともないタバコを一本受け取って、口にくわえた。「吸って」と言われて、吸った瞬間に火をつけてくれた。すごく苦かった。 けほっと咳き込み「私には向いてない」と言うとその人は笑った。 「いーよ、無理すんな」 その人はタバコを私の手からしゅっと取った。無理強いしないところも、私の優等生的発言にしらけないところも、いいなと思った。 「先輩たちの代は、三、四年目までに、結構辞めちゃってるらしいなぁ。でも俺たちは頑張ろうなー」    「うん。辞めない。私ね、いつも決めてるんだ。もう嫌だーって思うような大変なことも、何か……サインが来るまでは頑張ってみるって」 ついそんなことを話した。笑顔が優しかったから、この人になら、誰にも言ったことのない、自分の笑われちゃいそうな決意を話してもいいかと思えた。 この人は、バカにしたりしないって、確信できた。 「へ?サイン?」 高木は、ぽかんとして聞いた。 「うーん」 ほぼ初対面の人になんでこんなこと。と思いながら、私は続けた。 「ごめん、変なこと言ってるね。自分でもよく分からないけど。なんかさ、なにかきっかけがあるまでって感じかな」 「え?きっかけってどんな」 「んー、そうだな。例えば誰かが迎えに来てくれるみたいな」 「あー、王子様?」 その人はニヤリといたずらっぽい笑みを浮かべた。 「まあそういうのもあるよね」 私も笑う。 でも、私の言うのはそういうことじゃなかった。彼も私がそういうタイプでないことはもう分かっているだろう。 昔読んだ大好きな絵本。 その絵本が教えてくれた、『あと少しだけ頑張ったらいいことがあるかもしれない』という希望。 その前には、なにかのサインがあるのだ。 「とにかく、まぁ。なにかサインがあるまでは、なんでも、一旦はじめたものは続けてみようって思ってるんだ」 「へー。よく分からないけど、なんか変わってるなー。ナツキさんは」 「いーじゃん、別に。あ、ナツキでいいよ。同期なんだから」 私たちは非常階段に並んで、風に煙がたゆっていくのを見つめた。 ここの階段は、風の通り道なんだなぁと思う。 強い風が時折吹いたかと思うと、穏やかな風も吹いてくる。 私は、この会社のやっている事業に最初から惹かれて入社した。 家の近所にあってよく行っていた商業施設に、ここの会社が携わっていると説明会で知って、志望した。 配属はまだだけど、一番やりたい企画ができる部署を希望していて、おそらくその第一志望部署は通ると先輩たちから聞いている。 多分、同期の中ではやる気がある方なんだと思う。 そういうのを疎ましく思う人もいるって、気づいている。 今日の失敗だって、何人かが「調子乗るからだよ」と話しているのを聞いてしまった。 だけどこの高木という人は、自分はそんなにここの会社や仕事に情熱を感じていなさそうなのにも関わらず、私のことを笑わない。 私のことを受け入れてくれるんだなと思った。 私は好きな絵本のことを考えていた。そういえばこの人、なんだかあの絵本に出てくる、サインをくれる風の妖精に似ている気がする。ふっとそんなことを考える。 「ま、これから同期としてよろしくな。ナツキ」 「よろしくね、高木」 高木の言葉に私が手を出すと、高木は笑って握ってきて、握手した。高木の手はあったかかった。
/64ページ

最初のコメントを投稿しよう!

502人が本棚に入れています
本棚に追加