3.密談

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しかし、この前或る古参ジャーナリストが語っていたけれど、本来、報道に正義は必要ない」  報道に正義は不要、まさしく正しい見解である。  報道は事実を伝える仕事、とナイーブに思い込んでいる新聞読者やテレビ視聴者もいるだろうけれど、記者の視点が入った事実報道は、既に事実の総体、すなわち「真実」ではなくなっている。  昨今のテレビニュース番組のようにキャスターの個人的意見が入る「報道」など論外だが、何を伝えて何を伝えないか、その選択の過程で意見が入り込む余地は大きい。  この自分にしても、明朝新聞社の保守的読者が望むであろう「事実」を選別して記事にしている作為は否めない。 「ねえ、大畑知事が府知事選に勝利して挨拶回りをした時、本当は大成党の府議連会長と握手していたんですって?」 「ああ。敵を演じてくれるやつがいないと盛り上がらないから、握手のシーンをカットして、あたかも知事が握手を拒絶され、狸オヤジにいじめられているように編集して茶の間に流す。そうやって大成党を叩く。テレビってのはそんなモノだ」 「アメリカのトランプ叩きに似ているわね。トランプ大統領は会合で車椅子の少年に声をかけ腰を屈めて話したのに、退出する時に少年の挨拶に応じなかったところだけ放映して、身体障碍者を無視し差別している、と書き立てる。 そんなふうに書かれて当の少年が悲しむことなんて考えない。レベルが低すぎるんじゃない?」 「それがまさに印象操作、劇場型の政治、ってわけだ。アメリカにしても日本にしても、そういう時代になったということだろう?」 「それでいいはず、ないと思うけれど」 「こう考えてみるといいんじゃない。報道ってのはエンターテイメントだ。アメリカのCNNがそれを始めたわけだけれど、ニュースを24時間放映して聴衆の心をつかむためには娯楽性が必要だ。 報道は事実を知らしめて民主主義を推進する、と大義を掲げたところで、出来上がった人間というのは自分が聴きたいニュースにしか耳を傾けないものだ。だから自分達のコアの視聴者や購読者が喜びそうなニュースばかり流すことになる。 視聴率・購読者数で稼いでいる民間企業としてのメディアは、一度出来上がってしまった組織の政治的傾向を正すのは難しい。敵を作って叩く演出の方が、ウケる」 「それこそまさに、衆愚政治になるんじゃないの?」
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