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 誉は舞い上がる心を落ち着けようと、震える息を吐きながら、掌に乗せられた黒革のケースを眺めた。そっと中を確認すると、修理されたのか、疵一つないレンズの嵌ったスクエア型眼鏡が収まっていた。久住との出会いの切っ掛けともなった伊達眼鏡だ。 (覚えててくれたんだ)  だけど、これはもう必要のないものだ。   女装モデルをすることの変な劣等感や、自分の自信のなさから眼鏡を掛けていた。掛けることによって心を閉じ込め、周囲に関わらないよう、踏み込ませないようにしていた。  小学生のときに受けた心の痛みは、まだ完全に癒えたわけじゃない。手のひらを急に返されればまた傷付くだろう。  それでも踏み出そうと思った。  傷付くことは怖いけれど、人と関わる楽しさ、喜び、感謝、不満、怒り、哀しみ、すべてのことを享受してみたい。  誉はケースから眼鏡を手に取りじっくり眺め、ゆっくりとケースに仕舞い、見納めにしようと心に決めた。久住が何か言おうとして躊躇い、口を噤む。 「もうこれは、必要ないんだ。…ありがとう」  久住に礼を言いながら、過去の自分への別れを意識した。 「…しょうがねえな。貸せ」  言われるがまま久住に眼鏡ケースごと渡すと、ケースを開けてひっくり返される。あ、と声を漏らしたときには遅く、眼鏡は地面を跳ねて転がった。そしていつか見た光景と同じく、久住は足元の眼鏡を躊躇なく踏みつけた。ガリだかバリだか、地面とぶつかり割れる、嫌な音まで再現された。     
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