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坂上はじっと誉を見据え、何事もなかったように誉にあっさり別れを告げ、路上に落とした傘を拾って路地に消えていった。誉はそれを見届け終えると、深い溜め息とともに力尽きて蹲った。
雨に濡れて冷たいという感覚も戻ってくる。身震いし、頭も冷静に働きだした。
隣に立つ久住をぼんやり見上げ、伝えなければいけない言葉を探す。
「あの…、ありがとう。久住のおかげで助かった」
言葉にすると簡素ではあるが、気持ちを込めて心からの感謝を伝えた。
久住が現れなかったら今頃どうなっていたのか本当に分からない。あのまま路上で事に及んでいたのだろうか。それともどこかに引っ張り込まれていたのだろうか。
分からない。想像したくもない。だけど現れたのが久住で良かった。
彼のおかげで力を振り絞れた。
彼のおかげで毅然としていられた。
他の人にとっては簡単なことかもしれない。しかし誉にとってその簡単なことはとても遠く、手の届かないところにあった。
人のいない廊下で泣いたあの日、箱に鍵をして心の奥に仕舞ったものだった。
人を信じる、その勇気をもらえた。
ただ待つのではなく、自分から踏み出す勇気を。
(友だちに、なりたかったな)
感極まって潤みそうになる目をなんとか堪え、誉はぎこちなく笑う。
(友だちとして、好きになりたかった)
「本当にありがとう」
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