番外編・SS

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『小さな地獄と大きな宝物』 #深夜の真剣物書き120分一本勝負 のお題で書きました。 お題は「②洗い物」です。 いつもと変わらない休日の朝を迎えていたはずが、気づけば翠の姿が見当たらない。 手がかりを求めて、起きてからの流れを思い出しながら辿っていくと……。 ----------  おかしい。  気づけば、翠の姿を見ていない。 「翠ー?」  呼びかけに返る声は、部屋にも頭の中にもない。  恋人兼、従者(と言って譲らない)のエメラルドの化身である(すい)は、断りなく主の前から姿を消す男では決してない。……いや、ケンカをした場合は除く、だったか。  至って普通の、休日の朝を迎えていた。翠のキスで起こされ、のろのろと部屋着に着替え終わる頃には朝食がテーブルに並べられていた。この後はのんびり遠出しながら買い物をすませよう、なんて会話を交わしていたはず。お互い、不機嫌になるような要素はひとつもなかった。 「……藍くーん。っていないか」  双子の弟である、アクアマリンの化身である(らん)の名前を呼んでみるが反応はない。主である天谷千晶(あまやちあき)のお店に出勤しているのかもしれない。  双子が会っているという線が消えた、ということは……。 「翠、いるんだろ?」  それでも反応はない。全く理由がわからず、次第に変な苛立ちと不安がない交ぜになっていく。 「……主人を、意味もなく放っておくのか?」  なるべく対等の立場でいたい自分にとってあまり使いたくない手だったが、忠誠心の高い彼なら百パーセント効果があるに違いない。そう信じていたのだが……。  ――最終手段もダメとか、よっぽどのことが起きたらしい。  たまに翠は、「大げさすぎだ」と突っ込みたくなることでひどく思い詰める癖がある。理由を尋ねると知らぬところで自分が原因の元であるパターンが多いのだが、今回もそうなのだろうか。  張本人から探れないのなら、自らが探っていくしかない。  改めて、起床してからの流れを思い返してみる。朝食を終えて、翠はいつも通り洗い物に、自分はテレビを観ながら出かける準備をしていた。  ――翠が消えたのは、洗い物が終わった後ぐらいか。  わずかな望みをかけて台所に向かう。翠と暮らし始めてからあまり立たなくなってしまった自分でもわかるほど、いつでもゴミひとつない…… 「あれ?」  違う。今回はたったひとつだけ、違和感がある。  その違和感に手を伸ばして、なんとはなしに観察してみる。 「……あ、欠けてる?」  数ヶ月前、いつも頑張ってくれている翠にお礼がしたくて、透き通るエメラルド色で飾られたガラスのコップをプレゼントした。彼と一定の距離以上は離れられない生活でサプライズを仕掛けるのは至難の業だったが、通販に大いに助けられた。 『毎日水を飲ませていただきます! ……本当に、本当にありがとうございます、文秋(ふみあき)』  涙を浮かべるほどに喜んでいた翠。  宣言通り、ほんの少量だとしても毎日欠かさず使っていた翠。  そういえば朝もニコニコとコップを使っていた。 「間違いなく原因はコレだな」 「申し訳ございませえええぇぇぇん!!」  これから切腹でもされそうなほどの悲壮感を込めた声が、部屋中に響いた。  視線を床に移動させれば、燕尾服姿の男が綺麗な土下座を披露している。 「わた、私は大罪を、犯しました……主であり、恋人でもある文秋さんからいただいたプレゼントを、こ、壊してしまうなどと……!」 「あの、翠」 「大事に大事に扱ってまいりましたのにまさか、気づかぬうちに破損していたなんて……いえ、そんな言い訳など通用しません! 傷物にしてしまったのは事実!」 「いや、あのさ」 「どうぞ罰をお与えください。今回こそ情けは不要です。恋人の感情も殺して、あくまで従者として」 「翠」  あくまで静かに呼びかけると、縮こまっていた身体が小さく震えて、止まった。  しゃがみ込んで肩を二、三度労るように叩く。 「俺は怒ってないよ。お前が大事に使ってくれてたの毎日見てたんだから、ちゃんとわかってる」 「……しかし、私の気が収まりません。あの時、私は本当に嬉しかったんですよ」  声が震えている。さすがに自分も胸が痛い。 「わかってるって。俺も軽々しく『だから気にするな』なんて言わないよ」  飲み口の一部がわずかに欠けたコップを翠の隣に、静かに置く。 「俺はさ、このコップが翠に起こりそうだった災いを肩代わりしてくれたんじゃないかなって思ってるんだよ」  ようやく、翠が顔をこちらに向けてくれた。  頬に、明らかな筋が描かれている。数ヶ月前とは全く違う意味合いになってしまった涙の痕を両方拭って、敢えて声のトーンを上げてみた。 「ほら、パワーストーンもそういうのあるだろ? 欠けた時は、役目を全うした証だって。あんなに大事にしてもらったから、お礼したいって思ってくれたんだよ」  大の大人が、絵本にでも出てきそうな物語を口走っている。  けれど買ったブレスレットに飾られたエメラルドから「化身です。よろしく」と登場した翠と恋人同士となっている現実を見れば、あながち嘘でもないと思うのだ。 「……文秋さんも、すっかり私達の世界にも馴染みましたね」 「まだまだ、藍くんに怒られてばっかりだけどね」  翠が、わずかにだが笑ってくれた。それだけでこんなにも胸があたたかくなる。  欠けたコップを手に取った翠は、何度か側面を優しく撫でた。愛おしくにも、今までの働きを労るようにも見える。 「このコップは、後でベランダにある鉢植えに埋めましょう」  訊き返そうとして、つぐむ。  役目を終えたパワーストーンは、土に還す。そういうことだ。 「重ね重ね、お騒がせして申し訳ございませんでした」 「黙って消えた時はさすがに焦ったけどね。理由知って納得したっていうか」  変なタイミングで言葉を切ったのが気になったのだろう、どこか心配そうに翠が見下ろしてくる。 「……俺も、エメラルドが欠けた時は、この世の終わりって感じだったから」  言い終えると同時に、全身を包まれる。  力強くとも、ぬくもりを感じなくとも、世界一気を落ち着けてくれる場所だ。 「大丈夫です。二度と、私は文秋から離れません」 「わかってる。嫌だって言っても、絶対無理だからな」 「望むところです」  目が合った次の瞬間には、唇が重なっていた。ただ触れ合わせているだけなのに、やけに心臓が高鳴る。 「……そうだ」  このままベッドになだれ込んでもいいかも、と思いかけた頭にある考えが浮かんだ。  おそらく同じ気持ちになりかけていたのだろう、翠の双眸が若干残念そうに曇っている。 「これから、新しいカップを買いに行こう」 「新しい、ですか?」 「そんで、今度は翠が気に入ったデザインのカップにしよう。どう? 妙案だと思わないか?」  だんだんと、エメラルドの瞳がきれいな光を帯び始める。 「でしたら、ひとつだけわがままを申し上げてもよろしいでしょうか」 「おお、許す」 「文秋も同じカップを購入なさってください。いわゆる『おそろ』ってやつですね」  頷いた瞬間、視界に映ったふたつの瞳はどんな宝石もかなわない、自分にしか見ることのできない輝きを放っていた。
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