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千鶴にとっては、幼いころ父に連れられて海を見たとき以来の、十年ぶりくらいの遠出である。緑深い山々から顔を出す陽、朝焼けに燃える雲、それに焼かれているように輝く田畑。どれも目新しく面白い。歩けば歩くほど、次々に変わってゆく景色も千鶴を楽しませてくれた。
「疲れた!」
千鶴はそう叫んで道に座り込んだ。辺りは落ち始めた陽に照らされて眩しいほどである。
大方の予想通りではあったが、ろくに外へ出なかった千鶴の足では、そう長く保たない。行程も半ばを過ぎたところで、もうすっかり疲れ切ってしまった。
「おいおい、俺の家まではもうほんの少しだぜ。あと一時くらいだ、踏ん張れよ」
「そんなこと言ったって、歩けない。おれ、結構頑張ったと思うよ。籠は呼べないの?」
幸い道行く人は少ないが、真ん中であまり立ち止まっていては注目を集めてしまう。辰之介は転がすように千鶴を道の端へ追いやってから囁いた。
「そんなもん目立ってしょうがねえ。お前は如何にも籠に乗りたがりそうだから、探す奴らも籠から探すぜ。連れ戻されたくないなら、大人しく歩くんだな」
千鶴は逡巡して、両手を差し出した。
「じゃあ、おぶって」
当然とでもいうような千鶴の様子に、辰之介は大きくため息をつく。
「冗談じゃねえぜ、まったく……。仕方ねえな。ほら」
懐から大きな布を出して、千鶴にふわりと被せる。
「これ、頭から被っとけ。できれば肌も見えないように。そんで……これだな」
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