9章

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千鶴はどうやら体を打っただけではなく、足をひどく擦りむいたらしい。腕だけでなく足もしみしみと痛い。怪我なんて、いつぶりだろう。もう思い出せないくらいだった。それに、揉め事に首を突っ込んだとなれば、さらに昔のことのはずだ。子供の喧嘩程度しか経験がない。飛び出して太一を守ってみたものの、これからどうしよう。 ああ、辰之介が言っていたのはこのことだったのだ、と千鶴は悟った。千鶴は非力で、世慣れてもいないから、だめだ。 突然男が千鶴の肩を掴み、無理に仰向けにさせた。太一はその拍子に、弾かれるようにして逃げていく。 ああよかった、でももうだめだ、やられる。そう思ってぎゅっと目を瞑ったのに、拳はなかなか落ちてこない。代わりに、大きな声で叫ばれた。 「……千鶴さま!」 (千鶴……さま?) 千鶴の名を知っているのは、この街では偶然出会った人づてくらいしかいないはずだ。それも辰之介に紹介されただけだし、ましてや千鶴さまと呼ぶような人間はいない。しかし疑問は、大男の顔を見てすぐに解けた。 「権造……!」 男は、鶴乃家の丁稚であり、あの日蔵の番をしたばかりに辰之介に縛り上げられて転がる羽目になった権造だった。あの日辰之介にひどい目に合わされたかもしれないと申し訳ない気持ちでいたのだが、怪我のあともなく、どうやらぴんぴんしている。 いや、それよりも。 「なんでお前、ここに……」 「千鶴さまを連れ戻しに来ました」 権造の手は、決して逃がすものかとばかりに千鶴の腕をしっかりと掴んでいる。     
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