9章

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大きくて、乾いた手だ。布や台帳を触り通しなせいで、水分や脂が奪われてしまっているのだろう。 しかし、蔵から出た日に背中を擦ってくれた辰之介のものと同じ、温かい手だった。 父親の目を、正面から見上げる。 「家を空けてまで、父様ご自身が探しに来てくださったのは、なぜですか」 清右衛門は観念したような顔で、そして突然唇が鉛に変わってしまったかのように重たげに、口を開いた。 「……お前が、大切だからだよ。息子が攫われたのも初めてだし、町中探させても見つからないこともこれまでになかった。心配で、仕事も何も手に付かなくなったから、直接探しに行こうと思った」 「……それが聞けて、よかった」 千鶴はふわりと笑む。 「おれは家に帰りたくありません。父様や母様が嫌いだからじゃない、辰之介に教えてもらった外の世界が楽しくて、好きになったから」 涙に濡れてしゃくりあげてしまいそうな体を落ち着けて、息を吸う。やはり自分の意志を綺麗に伝えるのは、大変なことだ。 紡いだのは、これまで散々我儘を吐いた自分との、別れを決意する言葉でもあった。 「おれは帰りません。母様にもそうお伝え下さい。」 清右衛門はゆっくりと目を閉じる。 「必ず、文を寄越すように」 そして、辰之介に向き直って頭を下げた。     
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