紫苑

14/33
前へ
/33ページ
次へ
階段を上がってドアを開けて、すぐだった。 「こんにちは」 そこにいたのは、間違えなく、今日1番会いたい人だった。 「あっ、こんにちは。奇遇ですね」 ほんの少しの疚しさに思わず慌ててしまった。会いたい人に会えてしまった。 「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか」 彼はいつもと変わらず優しく笑った。 「今日はお仕事、お休みですか?」 「代休で気分転換に読書と思って」 仲良くなったつもりだが、2人の会話はいつも敬語だった。 「席は?よかったら、前空いてますよ」 「お邪魔じゃないですか?」 「全然、どうぞ、話し相手が欲しかったんです」 身なりを整えて椅子に座った。 「コーヒーはドリップなので時間がかかるんです。でも1番オススメです」 彼はメニューを私に見せながらこっそりと教えてくれた。 ウェイトレスが注文を取りに来た。私は一瞬躊躇ったがコーヒーを、彼はブラックコーヒーを注文した。 「綺麗な桜ですね」 「本当に」 「何をされてたんですか?」 「今度のLIVEのセットリストとか、次の曲の構想を考えてました。そしたらこの桜でしょう。見とれてしまって、全然作業が進まないんですよ」 「そうなりますね。私もこの桜に惹かれて、ここまで来ちゃいましたから」 笑って答えた。 「次のLIVEっておっしゃいましたが、いつあるんですか?」 「12月頃です。オフレコですけど、ついに僕ワンマンするんです」 「そうなんですか!おめでとうございます。私、遊びに行きますね」 「ありがとうございます」 「よかったら、話し相手になってください。今いろんな人から話を聞いてるんです」 「私の話なんかでいいんですか?」 「お願いします。今までに印象に残っている恋愛は?僕の曲は恋愛ソングが多いので」 ハニカミながら彼は笑った。ウエイトレスがコーヒーを運んできた。コーヒーの香りが私たちを包み込んだ。私はコーヒーに多めに砂糖とミルクを入れ、一口飲んだ。すぐに口の中がほろ苦くなった。
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加