紫苑

8/33
前へ
/33ページ
次へ
何人かの音楽を聞いて、ついに彼がステージに出てきた。機材のセッティングをしてチューニングを始めた。ひと段落すると彼は、椅子に座って深く深呼吸をした。自己紹介と簡単な挨拶のあと、まばらな拍手が聞こえた。私は拍手には混ざらなかった。 ピアノの音が始まって、急に彼の周囲が桜色にかわった。次は空色、漆黒、朱色、純白。音楽に色がみえるなんて、今まで感じたことがなかった。そして最後はLIVEハウス中が紫色になった。そこにいた全ての人が彼の音楽に引き込まれたと感じた。バラバラだった拍手が一つの大きな波になった。私も自然とその賛辞に加わった。彼はまた深くお辞儀をして、ピアノを片付けて、さっさとはけてしまった。 もう帰ろうかとしたとき、彼がやってきた。何人かのファンと気さくに話をしていた。声をかけたいのに、視線を向けられない。足が動かないし、ましてや喉がカラカラで、声を一言も出せる状態じゃなかった。そしてスタッフに呼ばれた彼はファンにさよならを言って私の前を横切った。一瞬彼と目があった気がした。会釈をしてくれたような気がした。 「どうして私はいつもここぞって時に行動できないんだろう」後悔を胸に私はLIVEハウスを後にした。
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加