第9章:最後の晩餐

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お荷物なんかじゃないよ、俺もずっと母ちゃんの味方だよ、と言おうとして、俺にはもうその資格はないのだと思い返した。 ぶどうジュースに入れた睡眠薬が効いてきたのか、母は既にうとうとし始めていた。 もうすぐ、安楽死課の職員が来る。 自らをお荷物と言った母は、申し訳なさそうな、居場所がなくて消え入りそうな顔のまま、眠ってしまった。 「家にお金がないのは、あんたがバカで根性なしだからだよ」は、認知症が母に言わせた言葉だ。 いや、本当に俺は、バカで根性なしだ。 まだ介護が始まって一年もたっていないのに、金がない不安、職を失う不安、ミサイルや戦争への不安で、ただ一人の味方を自らの手で殺めようとしている。 今の母ちゃんは、車から降りられなくなったあの時の俺と同じで、ずっと不安でいることを分かっているのに。 俺も不安でも、この世界にだれも味方がいなくても、俺だけは母ちゃんの味方でなくてはいけないのに。 あの時、自分だけは俺の味方だと言ってくれた母ちゃんに、「母ちゃんがぼけても、俺にとっては何も変わらないよ。俺もずっと母ちゃんの味方だよ」と言わなければいけないのに。 綺麗ごとかもしれない。 俺には金も、安定した職もない。 だけど、母ちゃんを自分がお荷物だと思わせたまま、うつろな顔で死なせたくない。 たとえぼけても、ぼけたなりの楽しさや幸せを感じさせたい。 もう一度、花畑の中ではしゃいでポーズをとる母ちゃんを見たい。 俺も、自分が世の中のお荷物と洗脳されたまま死にたくない。 自らを「自己責任」と責め続けて、企業に生き血を吸われ続けたまま死にたくない。 時代に貼られた「無能」というレッテルを、自分ではがしたい。 正社員と非正規雇用が互いにいがみ合う憎悪の輪から抜け出したい。 世間がどう思おうと、どう生きれば幸せなのかを自分の頭で考えたい。 ピンポーン。 「安楽死課です」 今日死ななくても、結局いつかは二人で死ぬことになるのかもしれない。 結論を迷ったまま、俺は玄関へと向かった。
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