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第5章:母との絆
それから2年あまり、うつ病は完治はしなかったが一日中起きていられるようにはなったので、歩いて行ける距離にある、短時間の掃除のアルバイトに申し込んだ。
バイト初日。一人で行くと言ったのに、最初の日だからと母がバイト先まで車で送ってくれた。
そうしたら、車から降りられなくなってしまった。あと20分で始業時間なのに、助手席で固まってしまって動けない。目だけが時計の秒針を追っている。あと19分。あと18分。
俺の様子がおかしいのを見て、母が「どうしたの?」と声をかけた。
「……俺、前の会社で、社長に『笑顔がキモい』って言われて、辞めることになったんだ」
「……それまで死ぬ気で頑張っていたのに、自分ではどうしようもないことを言われて、どうしていいか分からなくなった」
今まで母に辞めた経緯を話したことはなかった。まだ心の中で消化できておらず、何て言葉にしていいか分からなかったのだ。
「……俺が無能だったんだと思う。でも、またここで、あんなことが起きたらと思うと、怖くて車を降りられない」
涙があふれてきて、止まらなくなった。
「たけし」
気づいたら、母に抱きしめられて、あやすように背中をぽんぽんとされていた。
「何で、もっと早く言ってくれなかったの。たけしの笑顔は素敵だよ。気持ち悪くなんかないよ。今度また、だれかがたけしを傷つけたら、母ちゃんが殴りに行くから。世界中を敵に回しても、母ちゃんだけは最後までたけしの味方だから。安心して行ってらっしゃい」
その時の俺は、赤子のように情けなかったと思う。だけど、世界中でだれか一人でも無条件で俺を肯定してくれない限り、もう一度前に進むことはできなかった。
しばらく母に背中をぽんぽんとされた後、俺は涙と鼻水だらけの顔をティッシュで拭いてようやく車を降り、非正規雇用者としての新しい一歩を踏み出した。
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