17人が本棚に入れています
本棚に追加
川口 6
川口はいつもよりも入念にカツラをチェックして、待ち合わせのレストランへと向かった。
予約はしていない。入口に近い窓際のテーブルの椅子に川口は座った。外はすでに夜のネオンが灯り始めている。
ほどなく女も現れた。食事のあと猫カフェに行くので、特別な服装というわけではなかったが、今までの普段着っぽい姿とはまた違ったいでたちで、川口はその姿に見とれた。
料理を注文したあと、二人はお互いに名前を言った。それまで本名を知らなかった。女は二十歳の大学生で、斎藤美紀と名乗った。川口は自分の事をサラリーマンと言い、機密事項を扱う部署にいるので、会社名や場所はまだ言えないと話した。お互い、それ以上プライベートな部分に踏み込もうとはしなかった。
話題は結局猫のことへと移っていった。
美紀は自宅では猫を飼っていないようだった。
川口も飼っていない。将来の夢は、動物の飼えるマンションで猫と暮らすことだった。だが、今は小動物をかわいがる素振りを周りに見せるわけにはいかない。猫を飼うどころか、それらしい小物を身の回りに置くことさえ避けていた。
川口は美紀との話題を切らさないことや、食事する姿をサラリーマン風に見せることばかりを考えて、料理の味まで気にする余裕はなかった。
美紀は美しかった。だが、美紀より綺麗な女はいくらでも知っている。なぜ俺はこんなに美紀に惹かれてしまったのだろうかと川口は思った。
出会った場所のせいだろうか。お互い猫好きなせいか。歳の差を感じさせずにこうやって話ができるせいか。それとも愛想笑いひとつしない美紀の性格に惹かれたのだろうか。
そのすべてのせいなのだろうと川口は思った。
最初のコメントを投稿しよう!