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狐の嫁入り
曇天など見当たらぬ、澄み切った青空だった。柔らかい日差しが緑葉を照らす。それにも関わらず、霧雨がぱらぱらと頬を濡らすのが不思議でならない。
「狐の嫁入り……か」
青々とした竹林のなか、若者は独り呟く。
すると、竹林の奥の視界遮る靄のなかから、白無垢の花嫁が何人かに伴われてやって来る。異様なのは皆一様に、狐の面を被っているからだ。
「そなたが村から選ばれた『婿殿』か。独りで来たのだな」
列の先頭にいた年かさの男が、仰々しく問うてくるので、若者は「ああ」とだけ短く答える。
村には古い習わしがあった。
村の五穀豊穣を願うため、村から選ばれた若者を狐の一族に献上するのだ。選ばれる若者は男か女か、それはその時々で、狐の要求に沿う形になる。今回の要望は『婿殿』であった。
「婿殿。もう村には帰れぬぞ、思い残すことはないか」
「ないさ」
若者は悲しげに笑う。
もう村に、思い残すことはなかった。両親はとうに亡くなっていて身寄りはなかったし、最愛の妻も三年前に病で亡くした。
「一度は女房をもらった身だが、それでもいいか」
狐の面を被った花嫁に問うと、花嫁はこくん、と小さく頷いた。
その控えめな仕草と、華奢な身体付き、真っ白な肌。面で顔は見えないが、首筋の小さな黒子が亡き妻を思い出させた。
「さあ、行こうか」
年かさの男の号令で、花嫁の行列は元来た道を戻っていく。
「行きましょう?」
狐の花嫁のこちらを思い遣るような優しげな声が、益々妻に似ているような気がして、若者はぽろぽろと泣いてしまう。
戻れなくてもいいではないか。
戻ったところで何もない。
ぱらぱらと降る霧雨では、若者の涙を隠せはしないのだけれど、もうそれでもいい。
花嫁の手に誘われ、若者は竹林の奥へ消えて行くのだった。
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