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兄者は結局父さんが出生届を出さないままにしてしまった為、周りの人たちにお披露目をすることもなく、母様と共にずっと家の中で過ごしていた。
精神を病んだ妻と、盲目の息子。父さんは世間からそんな二人を隠そうとしたのだ。
父さんは疲れていた。
世間から母様や兄者を隠す事も、父さんにとっては自己防衛の一端にすぎない。
オレ達が生まれる前には持っていただろう愛情も、母様の病状が悪化するに従って、どんどん薄れていくのが端で見ていてもよく解った。
オレも、外では決して兄者の事を話すなと言われ、周りには一人っ子で通っていた。だから近所の誰も、兄者の存在を知るものはいなかった。
でも、その代わり、というのだろうか。
母様にとって兄者は世界のすべてだった。母様は兄者の為にだけ生きていて、兄者もそのお返しだと言わんばかりに母様の為にのみ生き、母様の為だけに存在しているみたいだった。
母様と兄者は、オレには行けない別の空間で呼吸をし、オレには見えない別のものを見て、オレには解らない別の言葉を話しているようだった。
そう、母様の目は兄者しか映していなかった。
母様は決してオレを見ようとしない。母様の視線はいつもオレを通り越す。すぐそばに立っていても母様の目にオレは映っておらず、家の中ですれ違っても、母様の目がオレを捉えることはなかった。
同じように母様のお腹の中で十ヶ月過ごし、同じだけの血を受け継いだはずなのに、いったいオレと兄者の何が違うのか。
顔も、声も、体つきも、オレ達はお互い不思議なほど似ていた。
まるで写し鏡を見ているかのようにそっくりだった。なのに。
母様の目に映るのは兄者だけ。
母様にとっての息子は兄者一人だけ。
オレはいない。
母様にとって、オレは存在しない子供だったのだ。
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