誕生

4/10
前へ
/17ページ
次へ
 兄者は結局父さんが出生届を出さないままにしてしまった為、周りの人たちにお披露目をすることもなく、母様と共にずっと家の中で過ごしていた。  精神を病んだ妻と、盲目の息子。父さんは世間からそんな二人を隠そうとしたのだ。  父さんは疲れていた。  世間から母様や兄者を隠す事も、父さんにとっては自己防衛の一端にすぎない。  オレ達が生まれる前には持っていただろう愛情も、母様の病状が悪化するに従って、どんどん薄れていくのが端で見ていてもよく解った。  オレも、外では決して兄者の事を話すなと言われ、周りには一人っ子で通っていた。だから近所の誰も、兄者の存在を知るものはいなかった。  でも、その代わり、というのだろうか。  母様にとって兄者は世界のすべてだった。母様は兄者の為にだけ生きていて、兄者もそのお返しだと言わんばかりに母様の為にのみ生き、母様の為だけに存在しているみたいだった。  母様と兄者は、オレには行けない別の空間で呼吸をし、オレには見えない別のものを見て、オレには解らない別の言葉を話しているようだった。  そう、母様の目は兄者しか映していなかった。  母様は決してオレを見ようとしない。母様の視線はいつもオレを通り越す。すぐそばに立っていても母様の目にオレは映っておらず、家の中ですれ違っても、母様の目がオレを捉えることはなかった。  同じように母様のお腹の中で十ヶ月過ごし、同じだけの血を受け継いだはずなのに、いったいオレと兄者の何が違うのか。  顔も、声も、体つきも、オレ達はお互い不思議なほど似ていた。  まるで写し鏡を見ているかのようにそっくりだった。なのに。  母様の目に映るのは兄者だけ。  母様にとっての息子は兄者一人だけ。  オレはいない。  母様にとって、オレは存在しない子供だったのだ。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加