椿

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 一瞬の出来事だったが、透から相談を受けていた話をふまえると、浮気が一番しっくりきた。  一気に胸が痛くなる。透のことを思うと今すぐにでもあの女を殴り飛ばしたい。  ただ今は仕事中だ。何もできないもどかしさを押し殺しながら食器を少し乱暴に片付けた。    玲司は缶コーヒーを片手に、店の裏路地にある石階段に座り仕事終わりの一息をつく。石の冷たさがひんやりと伝わってくる。  普段なら寒く座ることをためらうが、今の玲司には冷静さを与えてくれるようで少し心地よい。    静まり返った路地に響く換気扇の音、厨房から吐かれる洗剤のにおい。この場所この音このにおい、体で一日の終わりを感じる。  コーヒーをごくんと一口飲み込み空を見上げる。クリスマスの輝かしさとは反対に漆黒の空が覆っている。星も見えない何もない黒をぼんやり見つめる。思い出すのはテラスでの出来事だ。    あれは透の彼女に間違いない。何があったか分からない。けど透が苦しむことは目に見えている。 「透を苦しめるじゃねぇよ、クソ女」  心の苛立ちが口から溢れる。  店の勝手口が開く音がし、ドアの方に顏を向けると、そこからチーフが現れこっちに向かって来た。  チーフは玲司より七つ年上の二十八歳で、細目ではあるが爽やかな顔立ちをしていて背も高い。黙っていればイケメン、そんなタイプの人だ。 「よ、お疲れ、玲司」  と声をかけながら口に咥えた煙草に火をつける。 「お疲れさまです」  ふぅーと、煙が玲司に当たらないよう少し上を向き吐く。     
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