第五章 不良の扉

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右隣の小太りの親父が、タバコの煙を吹きかけ、空っぽの上皿に玉を一掴み入れてくれた。ハンドルを回すとみるみる溢れ、次々と箱が後ろに積み上がった。台の爆発は蛍の光が流れても止まらず、見回すと最後の一人だった。たった二時間足らずで出玉が現金に替わる刺激的体験。職業も家庭も時間も忘れ無我夢中で陶酔した快感。何かが弾けて脱皮した瞬間だった。一度味を占めた禁断の実は、知らなかった前には戻せない。一線を越えるか否かの僅かな歩幅で、見る世界がまるで変わる。 このまま走り続けたら脱線するまで止まれない。戒めながらも仕事の帰りはパチンコ屋へ日参した。マスク、帽子、伊達メガネ、ウインドウヤッケが必需品になり、閉店までの常連客になった。最初の数回は天才的ギャンブラーを自負する程調子よく、有頂天だった。その後は坂を滑る勢いで儲けた何倍も返した。負けると取り返そうと躍起になり、勝てばもっとと欲を出す。こんなに意志薄弱で強欲な人間だったかと、呆れながらも断ち切れない。由里と同類の中毒に罹り、葛藤と弱さに打ちのめされた。由里にだけはうらぶれた裏側を正直に打ち明け、傷を舐め合いたかった。が、既に事務連絡以外は口も利かず、目も合わせなかった。圭介も自然に解ける時を待つしかないと達観し、修復改善の努力はしなかった。 経済は生活費を毎月十万円由里に渡し、残りは自由だった。家と学校の往復では使い道も無く預金はいつの間にか貯まっていた。金に困った試しが無く、ずぼらで財布に幾らあるかも無頓着。パチンコの収支決算もどんぶり勘定で明確ではない。カードで行き当たりばったり下す癖が、一千万近い額から二百万を切った時、初めて身震いした。もう止めよう。足を洗おう。心に誓う後から、現実逃避の魅力に負け、三日と持たない。学校は相変わらず朝一番に登校しどん尻に下校する熱心な態度に、誰も圭介の変化に気付かなかった。 その年の六年一組の卒業式と謝恩会は圭介にとって特に感慨深かった。子供達の纏まりもさることながら、父兄の熱心さも群を抜いて印象的だった。圭介は一人一人に二年間の取り溜めたアルバムを手作りし、学校生活の思い出を書き添えて渡した。どの子も大きく成長し、誇らしい、涙、涙のお別れ会だった。
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