第1章

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彼は懐から小銭を取り出すと馬を引く御者に握らせた。腕を取り、馬車からゆっくりとルキナを降ろす。今日成人を祝うために仕立てた袍は裾が長く、野外を歩いたり、馬車のような高い場所の昇り降りしたりするには向かなかった。事実、袍は八条通りの砂埃で裾を擦ったため、薄汚れてしまっている。 「セイ、送ってくれてありがとう。また明日李先生のところで会おう」 長い袖を寄せて両手を合わせ、ルキナはセイクリッドに礼を取った。セイクリッドの実家はここからひとつ先の小路に構えられていた。 「何かあったら俺を呼べ。なんでも用意してやる」 礼を構えたルキナの氷のように冷たい手をセイクリッドが握りしめた。血質院から家に戻るまで、ルキナの両手は常に小刻みに震えていた。セイクリッドの強い言葉に、ルキナは視線を落とす。胸元に手を寄せると、懐に入れた蝋引き紙がカサカサと音を立てた。 「身体ひとつになってもいい。俺の家に逃げてこい」 セイクリッドの手のひらに更に力が込められた。ルキナはぎこちなく微笑みながら、彼の手を振り払った。 「早く帰って結果を報告してあげなよ。セイの御両親が待ちわびているはずだよ」 二人の間に、ルキナの従者ミズシゲが割って入った。 「ええそれにセイ様の花の御仁もお待ちでしょう。日没は寒くなります。日が落ちないうちにおかえりください。風邪を召されますよ」 ミズシゲはニコリと笑って、セイクリッドに首を傾げた。花の御仁というのはセイクリッドの許嫁のことを指していた。彼の服に丹念な花の刺繍を施すために、ルキナの家人から花の御仁と(からか)い混じりに称されている。 セイクリッドは数秒ミズシゲを睨んだがミズシゲが淡々と柔和な微笑みを浮かべていたため、それ以上の会話は続かなかった。 「とにかく困ったら俺に相談してくれ」 セイクリッドの剣幕にルキナは思わず苦笑いをする。 「大丈夫だよ。知ってるだろ。うちの家はカピトリヌス公に窘められるくらい血種に甘いんだ」 「まあ、そうだが……」 「早く帰って血質書を見せてあげなよ。花の御仁が喜ぶよ」 ルキナが急かすと、セイクリッドは心配そうな表情を浮かべながら、渋々と馬車の中に引っ込んでいった。 「ルキナ様、早くお邸にお戻りください。風が強くなってまいりました」
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