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「──着られるか着られないか、今ここで試してみてもいいぞ」
「うーん、興味はあるけどやめとくわ。もし服だめにしちゃっても責任持てないし、もう」
けれど、けしかけるように口にした提案は、それに応じた悠夏の言葉によってすぐに勢いを失う。ふたりのうえを、雨宿りを始めて二度目の電車が、嵐じみた風をもたらして流れていった。
それに、とその余韻にかぶせるようにして、悠夏が言葉を重ねる。相変わらず降り続く雨音に、いつもは凛と通る声をときどき、あいまいにまぎらわせて。
「──それに、今度のところは寒いから、今から鍛えておこうと思って。だから、まだ着てろよ。今日、聆生に風邪引かれても、俺、見舞いにも行けなくなるんだから」
笑いながら、聆生が脱ぎかけていた自分のシャツを、大きな両手でもう一度胸元まで引き上げる。一瞬、身体を包み込むように動いた、悠夏の腕が生み出す小さな空気の振動が、ふわりと頬を掠めた。
そのなかに、先程よりずっと強い、めまいにも似た鮮やかな錯覚を見て、聆生は思わずぎゅっと目を閉じた。……どうかしている。
──こんな自分は、どうかしている。
「……風邪なんか引かないから、安心して雪国にでもどこにでも行ってくれ」
何度も喉に引っかかるそのひと言を、ようやくしぼり出すようにして音にする。それから、寒くもないのに震え出す唇を、こらえようと懸命に噛みしめた。
こんなに動揺するなんて、どうかしている。
──まるで、悠夏に抱きしめられているようだと思っただけで。
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